あまりにも苦い〝後退〟の歴史を検証しつつ最善の道を          ──「県民投票」問題についての簡略な走り書き






『生き抜くための省察録』から


あまりにも苦い〝後退〟の歴史を検証しつつ最善の道を

 ──「県民投票」問題についての簡略な走り書き



夜の言葉〔第029葉〕



 以下は、すでに私自身、ツイッターやフェイスブック等では発信している内容と基本的に同内容であるが、インターネット上には、本「ブログ」のみの読者もおられるであろうところから、若干の内容を補足しつつ、掲示してきたい。なお「県民投票」問題についての私の最終見解は、『琉球新報』連載『まつろわぬ邦からの手紙』の今月31日掲載予定・第37回で提示するつもりである(こちらは紙数の関係で、むしろ本「ブログ」よりも簡略なものとなるかもしれないが、現時点までのSNSでの発言よりは、より新しい状況に即してのものとなるだろう)。


 「県民投票」という文字を目にし、それが論われること自体が、実は苦しい。まして、私自身もこの極限的な閉塞状況下、この論議に「参加」せざるを得ないことが。

 なぜか? 


 本来、2014年11月、現職・仲井眞弘多に10万票の大差をつけて圧勝した県知事選後、翁長雄志・知事により、仲井眞の「辺野古埋め立て承認」が速やかに撤回されていさえすれば、まったく不要な「県民投票」だった。

 真っ当な理性を具備した者にとってなら、そもそも〝百害あって一利もない〟この(当時にあっては)愚挙が、にもかかわらず次第に──そして途中からは急速に、あたかも琉球弧の現状打開の〝切り札〟であるかのごとき倒錯した「県民輿論」が支配的となってきたのは、ひとえに翁長雄志知事の3年半の任期の全体にわたる、「辺野古埋め立て承認」撤回に関しての、あまりにも不分明な「停滞」の結果にほかならない。


 私自身、これまでにも何度、言ってきたか分からないほどだが、この翁長雄志県知事就任後3年半に及んだ「承認撤回」の奇怪な遅滞と、2017年の宮古島市長選における「オール沖縄」国会議員らによってなされた分裂選挙およびその結果が、沖縄現代史の2大痛恨事であることはすでに疑いない。

 私としては、それが琉球弧にとって──ないしは東アジアにとって、さらに決定的・不可逆的な事態を招くことのないよう、微力を尽くすしかないと考えている。


 その後、不幸にして翁長知事が在職中に逝去するという事態の後、このかんの「後退」のすべてを引き受ける形で就任した玉城デニー・新知事の出発点の困難と、現在の沖縄の状況を思うなら、翁長県政時代、決してなされてはならなかったはずの「県民投票」の意味が、いま極限的な苦難のなか、翁長知事と異なり、辺野古の現場にも足を運ぶ玉城・新知事の県政にとっては、新たに別の意味を帯びつつあることは理解できる。


 何より、すでに「県民投票」そのものが実施されることになった(なってしまった)以上は、私たちは、2014年県知事選以来4年以上に及ぶ、あまりにも深く苦い思いを踏まえつつ、再度、埋立反対を貫くほかない。

 並行して、当然、今回、市民の政治参加の意思表示を公然と圧殺する挙に及んだ5市──沖縄・宜野湾・うるま・宮古島・石垣の各市長に関しては、その炙り出された5市長の反民主性を徹底的に弾劾する必要があるだろう。

 「リコール」を可能とする就任後1年以上の期間が経過している島袋俊夫(うるま)・下地敏彦(宮古島)の2市長に対しては、当然、それを機軸とした糾弾がなされるべきである。

 

 なお、くだんの「県民投票」に関し、ここに来て、当初の〝2択〟に「やむを得ない」などというあからさまに〝非中立的〟、噴飯ものの底意に満ちた、あまりにも欺瞞的な選択肢が追加されそうとなったことは、幼い子どもにも解る論外のまやかしとしか言いようがなく、それがなんとか避けられそうな展開となりつつあることは、当然とはいえ〝幸い〟である。

 ただ、その段階で私がフェイフブックで《どうしても入れたいなら〝ニュートラル〟な「わからない」「どちらとも言えない」だろうが、今回の「投票」実施に至る経緯からしても、その部分は、白票という意思表示が吸収するとの立場を採るべき。〝2択〟を崩すことは、5市長の民主主義蹂躙を追認する作用をも持つ。》と記した、そのまさに「どちらとも言えない」を加えた〝代案としての3択〟が浮上しつつあることも、絶対に好ましい展開ではないのだが。


 いま1つ、この「県民投票」問題に関連して、前掲の5市長が、それを拒否するなら「改憲の国民投票においても各自治体が同様の論理で拒否を……」といった、一種〝かけひき〟めいた論調が出ていることにも、実は私はある懸念を覚える。

 5市長の投票妨害は、それ自体、あくまで市民の意思表示への抑圧として厳密に糾弾されるべきことにほかならない。そこに、まだ始まってもいない「改憲国民投票」などという事案が、先回りして安易に持ち出されること自体、現在の全状況の危うさのなかであまりに軽率すぎるのではないか。


 なお、上述の『まつろわぬ邦からの手紙』今月分・第37回に至る直前の私の発信として、昨年11月と12月の『まつろわぬ邦からの手紙』第35回と第36回に関し、この後、当「ブログ」において紹介しておくこととしたい。

                   〔この項、了〕




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by uzumi-chan | 2019-01-23 17:49

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