松本光司さん、逝去——ある幸福な歳月への謝辞


『生き抜くための省察録』から

松本光司さん、逝去

  ——ある幸福な歳月への謝辞


夜の言葉〔第003葉〕




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                           (写真/山口泉。以下、同)


 松本光司さんが逝去された。

 日本CI協会のウェブサイトによれば、1月25日夜のことであるという。
 私が知ったのは翌26日、後述の河口湖《アルカンシェール》で知遇を得た、北関東在住のKさんから、さらに間接的な形で齎(もたら)された訃報に接してのことだった。

 夥しい記憶がいっせいに蘇り、喚(よ)び起こされ……少なからず茫然としている。
 いくつかの重大な事情から、まことに残念ながら、ここ数年、松本さんにはお会いする機会を持たずにきてしまったことが、いっそう突然の欠落感を増幅するかのようだ。

  河口湖《アルカンシェール》は、2009年10月、閉館。


 その夜、取り急ぎ、私のツイッターで7本ほどの追悼文を発信したあと、そこで記したとおり、尺八演奏家としての側面を伝えるCD『一音成佛』を取り込んだ iTunes にも繰り返し聴き入ったものの——なお記すべきことはあり、当ブログでの回想を準備してきた。

 脱稿が思いのほか、遅くなってしまったが、以下、公開する。 
       

 松本光司(みつし)さんは1936年、愛知県に生まれた。
 櫻澤如一(さくらざわゆきかず)(1893—1966年)の薫陶(くんとう)を受けたマクロビオティックの泰斗(たいと)としてのその活動は、リマクッキングスクール校長ほか、世界各地での指導実践、著書『穀菜和食』(2005年/柴田書店刊)をはじめとする著述等等、枚挙にいとまがない。

 ……ただし、松本さんのこうした経歴・業績については、おそらく今後、数多(あまた)の情報が、当然、然るべき団体・機関から提供されることになるのだろう——と、とりあえずは予想する。
 したがって、ここで私が記すのは、すべて個人的追想ともいうべき断片である。


 世紀が変わって間もない00年代後半、河口湖《アルカンシェール》という、少なくともある一定期間、明らかに〝奇蹟の場〟と呼ぶに足る場であった稀有のマクロビオティック・ペンションを中心に、まさしく数えきれないほどの回数、松本さんにお会してきた。——そのことは私にとって、 紛れもなく幸福な経験だったといえる。

 2004年12月31日——というより、すでに日付も年も変わっていた2005年1月1日未明、何年来という豪雪に、東京を出るまでに数時間を要し、さらにタイヤ規制の不徹底から収拾のつかない渋滞があちこちで続いた厳寒の中央自動車道をようやくの思いで抜けて、私と同行者とは初めて、そのしばらく前に越年宿泊の予約を入れていた山梨県・河口湖畔の《アルカンシェール》に辿り着いた。
 ——「アルカンシェール」(Arc-en-ciel)とは、フランス語で「虹」を意味する。

 すでに投宿客がすべて寝静まった薄暗い食堂の一隅の椅子に、かじかみ冷えきった軀(からだ)を沈め、途中、車中から電話で取り置きを依頼していた「年越し蕎麦」を啜った、そのときにはまだ、そこからほぼ5年に及ぶこの施設との関わりは予想していなかったといってよい。
 本来、〝フルコース〟としてあったはずの越年料理の大半は、到着時間の大幅な遅れから、厨房の提供態勢が間に合わないということで口にできず、ただ「年越し蕎麦」だけがテーブルに残されていた。

 その、いわば暗然たる越年の深夜の印象が一変したのが、翌朝——元旦の〝マクロビオティックお節料理〟と雑煮が並んだ朝餐からだった。
 つい数時間前と同じ空間とは信じがたい、初春の陽光が溢れるサンルームのごとき食堂で、卓上に並んだ〝マクロビオティックお節〟を、バイエルン・ウィート風のグラスになみなみと注いだ《富士山ビール》を傾けつつ味わう時間は、前夜の私たちの鬱屈した気分を雲消霧散させた。


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 以後数日間の滞在中、朝餐の雑煮や〝マクロビオティックお節〟に続き、昼は松花堂弁当、夜は懐石フルコースが供される——それら言葉のほんとうの意味で贅を尽くしたマクロビオティック料理の品品の作り手と施設については、依然としてその詳細を把握しかねてもいたが、それでもほどなく、建物も雰囲気も魅力溢れるこの「場」を統(す)べる、独特の包容力を持った人物が二人、存在することは、私にも次第に呑み込まれてきた。


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 施設内外に、小柄な痩躯を躍るがごとく軽がると運びながら、高く澄んだ声で歌うように語りつづける女性と——作務衣を品良く着こなし、温厚な笑みを絶やさない男性。
 ともに鶴のごとくほっそりした二人は、明らかに高齢と見受けられたが、同時に佇まいはすこぶる若わかしく、その若さは単に身体の健康に留まらない、およそ尊大さや強権性と無縁の、自由で闊達な精神に由来することは明らかだった。
 この女性が、マクロビオティックの創始者・櫻澤如一を行動を共にし、国内外を巡ってきた田中愛子さん(1924年生)であり、そして男性が松本光司さんだったのである。


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 「お散歩、お散歩、嬉しいな」と囁きながら、富士を見はるかす河口湖畔の畦道をスキップする田中愛子さん。
 最初の《アルカンシェール》への逗留の最終日の朝、快晴の陽射しの下で、ひとり、正面玄関へのアプローチの優美な階段の雪かきをされていた手を休め、にこやかに私たちを見送ってくださった松本光司さん。
 そこから始まった、お二人をはじめとする河口湖《アルカンシェール》関係者との交流については、すでに私は少なからぬ場**で書いてもきている。

 ** 山口泉『マクロビオティック思想の隆盛——「食」をめぐる新しい視点』(信濃毎日新聞2006年1月6日付夕刊・文化欄/『同時代への手紙』第57回)ほか、多数。



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 一度でも行かれたことのある方は御存知のとおり、眼下の河口湖を隔てて富士を望む《アルカンシェール》の、その立地は申し分なく、施設も魅力的だった。
 だが、それ以上に、そこに集うスタッフの各氏—— 総料理長・松本光司を支え、厨房を切り盛りする、三浦庄一料理長や奥秋浩一調理部長ほか、多彩な方がたの力の結集した人間的磁場の眩(まばゆ)さは、私の五十代前半の個人史と、まさしく不可分のものとしてある。

 いまにして思えば、それはおそらく人類史のある時代の最後の残照だったのだということもできるかもしれない。
 ことあるごとに四輪車を駆り、中央自動車道を、一路、河口湖ICをめざして、一体どれほどの回数、日数、《アルカンシェール》の客と、私はなったことか……。

 むろん私自身、松本さんや田中さん、三浦料理長や奥秋調理部長から、マクロビオティック料理の手ほどきも受けている。
 松本さんが《アルカンシェール》で指導される「料理塾」を私は、《アルカンシェール》プロデューサーで同塾・主宰者の村上京子さんに請われて書いた小文で「名匠の振るオーケストラ」と形容したものだった。
 高野サンド、擬製豆腐、石垣豆腐、色紙寄せ、手綱蒸し、牛蒡の養老煮……。
 ある意味〝料理の極限〟ともいうべき献立は、いまとなっては「世界の破滅前」の還り来ぬ時代の哀切な記憶として、ある。


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 田中愛子さん、松本光司さんとも、すでに斯界(しかい)の〝神話的存在〟であるにもかかわらず、お会いするたび、飾らぬそのお人柄に魅せられ、さまざまな機会を御一緒する幸運に恵まれた。
 田中さんの南インドへの旅の〝付き添い役〟ともなり、また松本さんとは、マクロビオティックを通じて知り合った人びととともに台湾へ赴いたりもした。いずれも懐かしく、貴重な記憶である。

       

 「マクロビオティック」の思想や理論そのものについての説明は、これまでも私なりにあちこちで書いてきたので割愛する。
 ただ、私自身が必ずしもその全容を知悉しているわけでもなければ、管見でも櫻澤如一の、その全「理論」に必ずしも全面的に納得しているわけではないし***、さらに田中さんや松本さん以降の世代の担い手たちにはさまざまな立場・志向の人びとがいるだろう。個別の問題をめぐる事象に関しては、私自身、若干の見解もある。

 *** その思想に即していうなら、たとえば櫻澤を無条件に崇拝し、帰依することそれ自体が、本来、櫻澤の主張とは相容れない態度であるだろう——と、私は考えている。


 しかし何より、田中愛子さんと松本光司さんのお二人については、その温厚で自由闊達なお人柄の魅力が圧倒的だった。
 15歳で日本料理店の徒弟となった松本さんが、折りから高度経済成長へと向かおうとする戦後日本の、欧米料理の影響による「和食」の変貌のなか、動物性食品の過剰摂取により、心臓に病を得た頃——業界で評判となっていた「銀座に女の板前がいる」との噂を聞きつけ、人伝てに訪ねて行った店で出会ったのが、ちょうど一回り年長の田中愛子さんだった。
 そして田中さんが引き合わせた櫻澤如一は、松本さんのその料理の手並みに「この青年こそ、自分が待ち望んでいた人物」と感激する。

 櫻澤の指示を受け、その意を体するマクロビオティック調理を研究、展開してゆく過程で、松本さんは損ねていた健康を回復した。

 ……こうしたプロセスからも窺われるとおり、松本光司さんの思想の特質は、自らが渾身の努力を払ってきた料理人としての実践のなかから摑み取られたものであることに存するだろう。

 松本さんから直接、お聴きしたエピソードは、枚挙にいとまがない。
 それまで斗酒をも辞さなかった松本さんが、すでに若くして、以後、一滴も酒を口にされなくなった緊迫感に満ちたきっかけや、御自身も愛好されていた、一世を風靡した韓国ドラマ『大長今(대장금=邦題『宮廷女官チャングムの誓い』についての独自の評価など——。
 いずれも感嘆措(お)く能わざるものだった。

 松本さんの魅力は、単にマクロビオティックの〝神話的泰斗〟というにとどまらず、その温和で謙虚、気さくな御人柄にあった。およそ、すべての真っ当な人びとに共通する飾り気のなさ。こまやかさ。
 そして、尺八演奏家・松本虚山としての側面も忘れ難い。

 虚山・松本光司の普化(ふけ)尺八の素晴らしさ、凄まじさは、「本曲」の代表的作品の数かずを網羅したCD『一音成佛』(私家版)収録の全12曲・70分に凝縮されている。
 劈頭(へきとう)、裂帛(れっぱく)の気合いに満ちた『薩慈(さつじ)』から『九州鈴慕』『虚鈴』『鉢返し』、『神保三谷』『一二三調(ひふみちょう)』『筑紫鈴慕』、『京調子』『虚空』等等を経て、秘曲『阿字観(あじかん)』へと至る、なんの外連味もない演奏の息詰まる密度。

 近年、脚光を浴びる内外の尺八奏者は少なくない。私もいささかはそうした演奏に接してもきた。
 だがしかし、私は、松本虚山以上の尺八を知らない。バッハにすら通じる精神性。深い抽象性——。

 私自身、尺八には以前から関心はあったものの、松本虚山『一音成佛』の、バッハ『シャコンヌ』やバルトーク『無伴奏ヴァイオリンソナタ』をも髣髴(ほうふつ)させる、その息を呑む響きには、かつてなく打たれた。
 ぜひとも松本さんに師事しようと、私は一度は府中の御自宅へも赴いたのだったが……気管支喘息を持つ私は、尺八を吹こうとすると翌日、必ず体調が極度に悪化するので、やむなく断念したという経緯があった。
 やはり、私には、尺八は無理なようです——。
 そうお伝えしたときの松本さんの残念そうな表情は、いまも目交(まなか)いに浮上してくる。申し訳ない思いだった。

 私事のついでに記せば、実は一度、ふとしたことから松本さんに、私の手相を観ていただいたこともある。マクロビオティックの神話的泰斗にして尺八演奏家・松本虚山たる光司さんは、卓越した手相見(Palmist)でもあったのだ。
 その際、自らの「疾病史」ともいうべき事柄について言い当てられ、心底、私が驚愕したその方法は、基本的にはいわゆる「流年法」の応用であったことが後に判ったが——しかしその的確な用いられ方と、私の未来についての励ましをも含む、その温かな炯眼ともいうべき洞察力には、やはり松本さんならではの、東洋的文明論と庶民的な叡智との均衡を強く感じさせられた。


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 2011年3月11日以来、多くのものが喪失してゆくことに、いまさら驚きはしないものの、松本さんをめぐる記憶が蘇るにつけ、改めてさまざまな思いは去来する。

 複数の人間が居合わせるとき、そこにただちに生ずる党派性や政治性から、つねに距離をとられていたこと——。その色あいはいささか異なるが、本質的な意味での自由人としての存立のしかたは、松本さんにも田中愛子さんにも共通したものだ。
 人間のそうした存在のしかたが、しかもとりわけいま、この国においては、どんなに稀有なこととしてあるか。

 松本光司さんに感謝しつつ——いまはただひたすら、田中愛子さんの御健康と長寿を願ってやまない。





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by uzumi-chan | 2014-02-08 02:41 | 【C】夜の言葉

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