「希望」の熾火に注がれる、数多の眼差しを受けて—— 「但我是還要反抗的」


『生き抜くための省察録』から

「希望」の熾火に注がれる、
   数多の眼差しを受けて

  —— 「但我是還要反抗的」

夜の言葉〔第001葉〕





 昨日からきょうにかけても、なお、当ブログの『肯わぬ者からの手紙』〔第001信〕「国家主義の無法が蹂躙する焦点の地での、人間の存在証明——名護市長選挙が示したもの」と、同〔第002信〕「1つの「勝利」の明くる日—— 沖縄に生きることの意味」とに関連して、幾人かの方がたからの声をいただいている。
 沖縄をはじめ、その版図においてそこから最も遠い北限の地域まで——この度し難い日本国家の各地から。
 
 それらの言葉の、いずれもなんと的確で鋭敏なことか。
 そして、その本質的な「類似性」が、まさしく現在という末期的な危機の絶望を逆照射すると同時に……それがどんなに僅かなものであっても、紛れもない「希望」の熾火(おきび)に注がれる、心ある人びと数多(あまた)の眼差しの真率さに、私自身、胸苦しくなる思いがする——そんな数十時間が続いている。

 これは不思議な体験だ。明らかに、これまで経験したことのない事態だ。少なくとも、私にとって。

 いま、何が起ころうとしているのか。
 いま、私たちは、いかに末期的な破滅の淵に立たされているのか……。
 それをいやというほど承知した、明敏な人びとが、しかも、もはやずたずたに寸断され、分断されている。
 分断されながら——なお互いを視認し、懸命の眼差しを交わしあっている。


       


 今回、それら名護市長選挙の結果について2篇の小文を公開するまで、本ブログ『精神の戒厳令下に』と、私自身のTwitterとにおいては、昨年12月7日以来……ウェブサイト『魂の連邦共和国へむけて』に関していうなら、さらにそれに遡る11月初旬以来、2箇月半近くのあいだ——インターネット上での発言が滞ってきた。

 必ずしも、意図しての判断の結果ではない。
 また基本的には、なんらか外在的な作用の影響でもない。

 むろん、こうした状況下——すなわち「戦後」最悪の構造的反動と、何よりそれをもたらした直接かつ根本の要因である東京電力・福島第1原発事故という人類史上空前の破局が、しかも、もはや「問題」として認識されることすら困難になりつつあるという、どんなに絶望しても足りない終末的状況にあって、できることなら上述の各種「ツール」においても〝コンスタントな〟発言が望ましいとの思いは私自身、十分にあり、そのことがこの数十日間、絶えず気に懸かりもしてはいた。
 たとえ、2011年3月半ば以降、ほぼ10箇月のあいだに『精神の戒厳令下に』において提示し、その後、加筆分を併せて編纂した小著『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』(2012年3月/勉誠出版刊)の550ページや、インタヴュー・論攷集『避難ママ——沖縄に放射能を逃れて』(2013年3月/オーロラ自由アトリエ刊)の250ページに収録したテキストを中心に、昨2013年末に至る新聞や雑誌への寄稿、未刊分のブログ草稿やツイッター発信、講演・談話……その他、もろもろも含め、この2年9箇月ばかりのあいだに発表してきた——古めかしく言うなら四百字詰め原稿用紙換算で無慮4000枚、おおよそ160万字の「言葉」において、もはや語るべきことはすべて語り尽くしたとの自己諒解に深く涵(ひた)されていたとしても。
 また同様に、それを目にする人びとのなかに、あるいはもはや食傷した、辟易した……といった反応が醸成されていかねないとしてすら。

 他者との関係性において、任意の1人物——たとえば私——が、最後の最後の最後の最後まで、基本的には「同じこと」を言いつづけるという、その行為の事実そのものが意味を持つことはあり得るし、人間性の極限の状況における「言論」の存在理由とは、おそらくそうしたものなのだ。そしてしかも事態は、まさしくそうした「言論」の最終の存在意義が問われる終末的段階へと、確実に、かつ加速度的に近づいてもいよう。

 にもかかわらず、ではこのかんの不都合な停滞は何かといえば、その一部は後述する新カテゴリーで御説明するとして、晩秋というより初冬以降、いよいよかつてない複雑な閉塞感を強めるようになったもろもろの現実的諸条件と、それを打開すべく思いのほか多大なエネルギーの蕩尽を強いられた影響もあり、また根本的にその内実がこれまでと異なるものともなった、最も広義の「生活」が必然的に要請する幾つかの作業に時間を充てた結果であり——加えて私自身、生活の場を沖縄に移した現在も懸念している、東京電力・福島第1原発事故の継続的影響の可能性をも疑うべき、いささかの体調不良も年の変わり目には数日間あり……それらの変数が折悪しく重なった偶然が、明らかに最大の理由ではあるのだが——。

 (挙げ句の果て、年が変わってからは、ついに複数の友人知己、さらにはそれ以上に距離を隔てた読者からも、直接間接に「何かあったのか?」と「安否確認」めいた問い合わせが届く仕儀となってしまった! 前述のとおり「ないわけでもなかった」のだが……御心配いただいた各位には、まことに申し訳ない)

 その一方、当初から考えあぐんできた、上記・各種「ツール」の位置づけについて、この際、解決しておく必要を感じているという事情も、私にはあった。
 近年ではもっぱら、いわゆる「活動報告」に限定しているウェブサイト『魂の連邦共和国へむけて』はともかくとしても、本ブログ『精神の戒厳令下に』とTwitterとに、いかなる役割を振り当てるか。

 1つには、Twitterなる「言論」の形式に関して、当初から私自身が明確に「割り切れて」いない気分が、いまもなお蟠(わだかま)ってはいる。
 しかしながら、これはこれとして、作業時間さえ確保すれば、呼吸するように批評する、自らの生理的志向に合致するものでもあるのかもしれない気もしないではない(ただし、たったいまあっさりと記した、作業時間さえ確保すれば……という、その一点のなんと困難なこと!)。

 だがそれ以上に、より現実の問題となっているのは——どうやら当ブログ『精神の戒厳令下に』に、これまでいわば「なし崩しに」設けてきた30余りのカテゴリーの件らしいのだ。
 それらが、いまやどうにも機能不全に陥り、収拾不可能な状態を呈していることも、この更新作業に向かおうとする私の気の重さの小さからぬ原因となっている。

 いま現に、この本文の左側の欄に並ぶ各「カテゴリ」をご覧いただければ明らかなとおり——当ブログの根幹を成してきた〔東京電力・福島第1原発事故〕はともかくとして、その他もろもろの幾つかが、範疇の概念としてその位相・次元も、それぞれの包括する規模も、あまりに区区(まちまち)で整合性を欠き、断片的であることは歴然としている。
 もともと、これらすべてが便宜的なものであり、そして内容・素材・主題を基準に便宜的なものの常として「分類する」ことに避け難く伴う不具合はつきまとってきたのであるが……。


       


 そこで、このたび——インターネット上の発信における、今回の一連の遅滞を打開するにあたって、当ブログ『精神の戒厳令下に』においては、以下の改変を試みることとした。
 
 〔1〕『精神の戒厳令下に』におけるカテゴリーを、暫定的に、新規の2つを含む以下の3部門とする。

 【A】『肯わぬ者からの手紙』〔論攷(ろんこう)

 【B】『帯電した、巨きな雲がうごくように……』〔日録〕) 

 【C】『夜の言葉』〔省察・述懐・ 読者案内〕

  これは従来からのもの。


 〔2〕これまで設置してきた30余りのカテゴリーは、各部門ごとの量の多少はあるにせよ、すでにそれぞれにおいて発表してきた論攷・テキストも存在することから、とりあえずは廃止しない。従来どおり、アクセスしてお読みいただくことが可能である。

 〔3〕前述のとおり、現在の最悪の構造的反動と、この人類の存亡に関わる危機をもたらした直接かつ根本の要因がそれにほかならないことに鑑み、旧〔東京電力・福島第1原発事故〕カテゴリーは、新たな【A】『肯わぬ者からの手紙』論攷に直結するものと位置づける。
 したがって、【A】『肯わぬ者からの手紙』にあっても、一連の問題をめぐるテキストは、その通し番号をも継承し、旧〔東京電力・福島第1原発事故〕の224篇に続く「第225信」からカウントするものとする。
 ただし、【A】『肯わぬ者からの手紙』は狭義の東京電力・福島第1原発事故問題にのみとどまらず、これまでの30余りのカテゴリーの大部分を含む、当ブログのメインの論攷部門となることだろう。

 ……ここまでをご覧いただいて、かねてよりの私の読者は気づきのとおり、以上3部門は、これまでの私の著作において既出のタイトルでもある。

 順序が前後するが、そもそも『帯電した、巨きな雲がうごくように……』は、かつて1980年代前半、季刊『いま、人間として』(径書房)に連載した〝ヴァラエティ・エッセイ〟『星屑のオペラ』(1985年/径書房刊)の1部門として題名が提示されていたものであり、『肯わぬ者からの手紙』は1990年代、月刊『世界』(岩波書店)に連載した、同様に〝ヴァラエティ・エッセイ〟『虹の野帖』のメイン論攷部門——そして【C】『夜の言葉』は99年創刊の季刊『批判精神』(オーロラ自由アトリエ)に連載した、『冬の言葉』と『夜の言葉』とを対としての〝ヴァラエティ状況論〟のまさしく「省察・述懐・読者案内」部門……と、いずれもその性格は大きく異にするが、80年代・90年代・そして00年代へと至る3つの綜合雑誌**での私の連載エッセイと直截の関連性を持つ次第。

 ** そして、かつて〝紙の綜合雑誌〟で行なってきた作業を、いまこうした形で展開する……という事実自体が、このかんの社会状況とメディアの変遷、ないしはそれ以上に根本的な、ある「差異」を示してもいることになるのだろう。おそらく。
 (この事実の一種本質的な深刻さに気づくかどうかは、それ自体、おのおのの「思想勘」の問題でもあるのだという気が、私としてはする)



 まだまだ記しておくべきことはあるが、いまはともかくぎりぎりに局限したこの3部門を現実に稼働させることが先決だろう。
 この惨憺たる状況下、「新装」のブログをそれなりのペースで持続させる、そのためにも——ここ数週間、書きためてきた草稿は、当面、何日間かを大過なく回転させる、そのストック分として温存しておきたいという、はなはだ現実的なことも、目下の私は考えてはいる。


       


 私にとってつねに特別の意味を持ちつづける広島の地で、昨夏、新たにお会いした方がいる。
 それ以降、深い地熱のごとき励ましの波動を、私とNPO「オーロラ自由会議」の盟友たちの闘いに向け、送りつづけてくださっている方だ。

 その方が、一昨日、私にメイルを下さった。現状の最突端の日本の政治・社会状況に関する、数かずの、まさしく透徹した分析の最後に、一言——。

 《山口さん、これまで通りあきらめずに声を出し続けてください。応援しています。》

 この過分な御言葉に、何を以てお応えすべきか。

 沖縄民衆が自らの尊厳を賭して示した、名護市長選挙の結果を突きつけられながら、安倍晋三ファシスト政権は「辺野古移設」の入札公告を断行するという暴挙に打って出た。
 だが、現状、私が日日、お会いする人びとの意識は高く、稲嶺市長が抵抗の意思を示しているかぎり、事態には、さらに何段階かの局面が続くことだろう。
 私としては、戦後、日本国本土を含め、何度か展開されてきた反米軍基地闘争にも通底しながら……しかもこれまでにない展開が、必然的に前途に待ち受けることを予想している。

 事態はむろん、単に「沖縄の問題」として切り離してしまうのであってはならない。
 安倍晋三ファシスト政権の存在と振る舞いは、そもそもの発足当初から、日本国家総体——そして東アジア、そひいては人類にとっての、空前の危機であるのだから。

 《黑暗之極,無理可說,我自有生以來,第一次遇見。但我是還要反抗的。》
 (暗黒の極、言うべき言葉もなし。生まれて初めてのこと。しかし、私はなお抵抗します)
       (魯迅・劉煒明宛て書翰/1934年12月31日)





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by uzumi-chan | 2014-01-23 05:27 | 【C】夜の言葉

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