知性と良心への侮辱としての『特定秘密保護法』  〔反戦・平和〕第6信


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


人類史を愚弄する、集団催眠と自己麻酔の愚国家——知性と良心への侮辱としての『特定秘密保護法』






 時間がない。事態は極めて危機的である。
 いまだかつて、これほど危機的な事態はない。どれほど言葉を尽くしても足りないほどだ。

 以下と、その大筋において同様のことは、すでに昨2012年12月18日付の当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第193信《人類史に顔向けできない大罪——2012年衆院選・都知事選の絶望〔1〕》、および〔東京電力・福島第1原発事故〕第194信《ヴァイマール共和制よりも破滅的な崩壊——2012年衆院選・都知事選の絶望〔1〕》でも記してきた。

 また、後者で述べているとおり、そもそも2009年夏の民主党政権成立の段階から、同様の危惧を私はヴァイマール共和国の破綻とナチスドイツ——ドイツ第三帝国の出現に準えて警告してもきた(山口泉「コスモスのごと可憐な『無血革命』に寄せて/『週刊金曜日』2009年10月2日号=769号)。

  ただし私は、これまた幾度となく言ってきたとおり、民主党政権最初の鳩山由紀夫のそれは、いまなお、あくまで高く評価する。
 思えば鳩山政権は、偽りの〝戦後日本〟の最後の華であった。



 問題は、それらすべてが、結局、危惧されたそれか——ないしは、その危惧をもさらに上回る絶望的な形で、いま現実のものとなり、さらには決定的に固定化されようとしていることだ。
 そして、にもかかわらずその絶望的とも末期的ともいえる事態の、しかもその終局に際会しながら、結局のところ大半の人びとが、いま起こりつつある展開を、つまるところ「止むを得ない」ものとして受容しつつあるか……それ以上に、異様なまでの無関心**をもって看過しようとしていることだ。

 ** ちなみに、この無関心の度合いは、2011年3月11日以降、この地上で人類が最大の関心を払うべき東京電力・福島第1原発事故の危険性への、一種集団催眠的・自己麻酔的な無関心とも、見事なまでの表裏一体をなしている。その完全な符合がまた、いよいよ恐ろしい。
 また、こうした事態に関しては、〝公共放送〟NHKをはじめとする既存の「制度圏」マス・メディアの積極的加担があることも、言を俟(ま)たない。



 ともかく、くだんの『特定秘密保護法』(『秘密保全法』)なる代物が、「秘密」などという不穏な言葉を平然と前面に付き出しながら、それでも主権者(であるはずの)大衆一般からおよそまともな疑義も差し挟まれることなく通過・成立しようとしているという信じ難い状況は、しかしながら今夏の参院選の、その前に公然と「出動拒否者は軍法会議にかけて死刑」だの「ナチスの手口を見習え」だのと口走った低劣な政権与党幹事長や副総理が罷免も糾弾もされることなく権勢を保っているという、この国家の現状を体現している。
 そして、そうした政党に票を投ずる「主権者」大衆の意識は、当然、事ここに到っては単なる受動性を超えた、明白かつ積極的な共犯性の問題として糺(ただ)されるべき水準のものにほかならない。

 国家・政府が、当の〝秘密〟なるものを勝手に「指定」し、勝手に「処罰」し、挙げ句の果て、勝手に「廃棄」できるというフリーハンドを独占的に握り込むという——まともな思考力を具備したものなら到底、容認するはずもない常軌を逸した〝法案〟。
 これが通過すれば、事実上、自民党の半永久的な独裁政権が固定化するだろう。むろん、「憲法改正」は時間の問題となる。

 この、いわば知性と良心への侮辱に対し、しかし反対するどころか、くだんの内容のあらましも、それどころか実はその存在すら、少なからぬ〝一般国民〟「有権者」が知らないまま、すでに「採決」が目睫(もくしょう)の間に迫っているという異常事態が公然と進行している——このまさしく没知性の、人類史を愚弄する、集団催眠と自己麻酔の愚国家。

 その一方で、なんらそれが抵触する法律もなければ、倫理的にもまったく問題はない山本太郎議員による、天皇への「手紙」手渡し問題を、事もあろうに寄ってたかって騒ぎ立て、「処分」と脅迫が続くこの国の現状は、実のところ、東京電力・福島第1原発事故に関しても、また『特定秘密保護法』(『秘密保全法』)に対しても、真に真剣に問題としている国会議員が実は山本太郎氏ただ一人である***という絶望的な事態を思えば、その拠って来(きた)る真の理由が明らかとなる。

 *** ともかく人間の生死、苦しみのすべてを最低最悪の形で愚弄する〝「東京五輪」成功決議〟に反対したのが、衆参全議員のなかでただ山本太郎氏のみであった事実は、やがて誰の目にも明らかな終末の到来する前に、すでに日本国会が事実上、滅んでいることをさらけ出して余りあるというべきであろう。
 なお、この問題に関連しては、可能な方は小文『〝戦後日本〟の果てに――東アジアと「フクシマ」』〔下〕(『沖縄タイムス』2013年11月6日付「文化」面)を、併せてご覧いただきたい。



 既存の擬似〝野党〟は、「みんなの」某だの「維新」某だの……の醜悪な共犯ぶりに見られるとおりと、当初のプログラムそのままに自民・公明に加担している。そもそもどうでも良いことだが、あれら擬似〝野党〟の類いは、ある意味、質的には自民以下ともいえる。そこには、昨今流行の(?)〝沈黙しているハト派〟(!)すら、そもそも最初から存在しない(??)。

 そして一方、一応は真正の「野党」であったはずのいくつかもまた、どこまでその自壊ぶりをさらけ出せば気が済むのか?

 現在の日本の破滅的状況の構図を最終的に用意した、まさしく戦後最悪の宰相の1人・小泉純一郎のあまりにも見え透いた、笑止の〝脱原発〟の茶番に、卑しくもすりよって見せた社民党のごときは、それ以下である。
 そして事態は日本共産党についても、かねて再三、竹内好の批判を引いて記してきたとおり、ほとんど変わらない。

 もはや、まったく時間がない。

 しかしともあれ、国会議員らは、何をどう言おうと『特定秘密保護法』(『秘密保全法』)の通過・成立を許してしまうなら、その責任は果たし得なかったことになるのだ。
 そして現状、ハイパー愚民政策によってもはや徹底的に骨抜きにされた、この2013年晩秋の日本に瀰漫(びまん)する、十重二十重の無関心と集団催眠、事故麻酔の構造のなかで、1960年6月のごとき、国会議事堂を20万の大衆が包囲する光景が現実の問題としていきなりは現出しない以上は、圧倒的な比重において、「攻防」は、心ならずもただひたすら国会内部の〝プロレスごっこ〟のごとき馴れ合いで行なわれるしかない。

 なお、少なからぬ市民と、各種機関・団体が、条理を尽くして『特定秘密保護法』(『秘密保全法』)に反対している。しかし同時に、あまりにも低劣かつ犯罪的なまでに無責任だった民主党・第2代(菅直人)および第3代(野田佳彦)政権の後、復権した自民党政権下の現在、いまほど事実上、「国権の最高機関」たる国会と、「有権者」国民一般・市民とが切断されている状況はない。****いまほど、日本大衆・民衆が、抵抗の回路を閉ざされている状況はない。

 **** この事実に関して、真に危惧している国会議員もまた——私見では、残念ながら山本太郎氏ただ一人という惨状である。


 意識の高い市民・民衆のあいだから、どんなに真っ当な声が上がっていようと、また、愚昧な政権与党とは比較にならない知見を有する機関・団体が警鐘を鳴らそうと、さながら〝パラレルワールド〟めいた国会「議場」とその周辺——既得権層により支配された一部の「制度圏』内部において、およそ別の国家・別の天体の出来事ででもあるかのように、事態は急速に進行しているのだ。
 そうした悪夢のような光景のなか、いま日本国の偽りの〝戦後〟にとどめが刺される光景に、私たちは立ち会うことを余儀なくされているかのようだ。

 最大の問題は何か? 
 最大の問題は、ほかでもない、まさしく衆人環視のなか、この偽りの〝戦後〟がその息の根を止められようとしている現在に、真に憤りを——ないしは絶望をもって存在している人間が(国会議員をはじめとして??)あまりにも乏しいという事実である。

 「対案」「修正案」を論(あげつら)うことそれ自体が、すでに欺瞞である。
 個別の〝問題点〟を列挙して見せる以前に、何よりその存在そのもの、このかん昨年末の衆院選・今夏の参院選においてもぬけぬけと隠蔽されてきた悪法の、その持ち出され方そのものを否定しなければ、まったく意味がない。

 そもそもなぜ、いま唐突に「国家秘密」なのか?  
 国民主権=民主主義と相容れないこれが当初から公然と掲げられていたら、いかな日本国「有権者」大衆といえども、このかん実際に自民党に投じられたそれは明らかに(いささかは?)下回る得票に留まったことだろう。
 
 あれら無教養で愚昧な閣僚たちにより構成された「見える政府」と、それを背後から操る「見えない政府」——真の支配構造の意を臆面もなく体した〝法律〟。 もはや到底、21世紀の地球上に存在する国家とは思えない……中世封建社会か、古代祭祀(さいし)国家ですら、まだまだ論理的ともいうべき「頭の悪い」権力者、現職の内閣総理大臣・安倍晋三が、国際社会に向け、自らを以て公然と揚言して見せた、まさしく「軍国主義者」どもの、でっち上げた、没論理的で時代錯誤の恥ずべき〝法律〟——。
 その存在が人倫にも背き、過去数世紀——ないし十数世紀に及ぶ、自由と解放をめざした人間の闘いの歴史を一気に逆行させ踏み躙(にじ)る〝法律〟……。

 それが、ほかでもない、人類史上空前の収拾不可能の原発事故をきっかけとして突如、出現してきたことの血も凍るような意味は、どんなに指摘してもしすぎることがない。
 この法案を「戦争への道を開くもの」などという次元で懸念している人びとは(むろん、それはそれとして当然の問題であるが)、なお、あまりにも、東京電力・福島第1原発事故という大破局の現実について、知見が乏しすぎる。すでに私たちがどれほど被曝し、いかに不可逆的な放射線被害に蝕まれているかについて鈍感すぎる。

 いかにも、旧ソ連は、チェルノブイリ原子力発電所事故で崩壊した。
 これに対し、日本は東京電力・福島第1原発事故をきっかけとして(ある種、閉ざされた、顚倒した世界観を持つ支配層からするなら、むしろ奇貨として??)、人間の精神史を数世紀以上、遡る野卑なファシズムを完成させようとしている。

 なんという、おぞましさか。
 人類史のすべてに対して、顔向けできない、この夜郎自大(やろうじだい)の愚国家——。

 昨年末の衆院選、今夏の参院選と、この国の「有権者」大衆が重ねてきた選択は、あまりにも愚かである。そしてしかも、事ここに到ってなお、自殺に等しい、そしてまた集団的無理心中にもほかならない、そのファシズムへの受動的加担の恐ろしさが、なお決定的に自覚されていない。
 悪しき「小選挙区制」の発足以来、この国における議会制民主主義=間接民主制の弱さが、いまほど露呈したことはない。
 (そしてそれは、結局のところ、当の議会制民主主義=間接民主制そのものが、実はそもそもの最初からまったく血肉化したものなどではなかったことを、改めて確認的に推測させる)

 デモは当然、必要だ。だが、明らかに現下の事態はデモだけでは、もはや阻止できない。
 先月の当ブログ〔反戦・平和〕第5信《いま、新しい「ゼネスト」の構築は可能か?——【緊急提言】ファシズムの完成を瀬戸際で食い止めるために〔後篇〕》でも私が述べているとおり、本来ならストが——それも大規模なスト、理念的にはゼネストが必要だ。

 事はもはや、労働組合の「質」をも問わない。それが〝御用組合〟であれなんであれ、これ以上、こうした事態が進むなら、実はもはや「敵」や「味方」すらない、大半の者の生活と生存が「ない」のだ。

 いま、なされようとしているのは、何より第一に、人類史上空前、制御不能の原発事故の「封印」なのだぞ。
 そうした事態にあっては、もはやいかなる小市民的幸福も——小市民的幸福すらも!——ないのだ。かくも愚昧な国家と、そのもとに唯唯諾諾(いいだくだく)と囲い込まれた国民大衆に待ち受けるのは、最悪の場合、惨憺たる被曝死のみなのだ。

 眼を醒ませ。
 たとえ、すでに息絶えた精神であってすら、なお。


 






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by uzumi-chan | 2013-11-25 13:06 | 反戦・平和

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