5年ぶりの再会、1年を経て実現した懸案——在独韓国人美術家・鄭榮昌さん〔前 篇〕 美術全般(第1信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


5年ぶりの再会、1年を経て実現した懸案——在独韓国人美術家・鄭榮昌(チォン・ヨンチャン)さんのこと〔前 篇〕






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 鄭榮昌さんによる、インスタレーション『어디로(オディロ=どこへ)』(手前)と、『暴力と無力』(奥右)『虐殺』(奥中央)ほか、“本来は「絶対の休息」の象徴であるはずの”シーツに描かれた絵画。難破船のオブジェは、つねに作品の展示が行なわれるその地で収穫された米の「海」に浮かべられる。〔写真提供・鄭榮昌氏〕


 まるまる1年を経て——ようやく懸案が実現した。
 昨年12月、ドイツ北西部の都市・デュッセルドルフ Düsseldorf に旧知の友を訪ね、その折りの滞在記を中心とした、短いエッセイを発表することである。

 私にとって、この小文を世に出すことは、生涯で最も絶望的な期間だった、今春以来の9箇月近くのあいだ、この上なく苦しい「労働」を課す軛(くびき)でもあり、魂に刺さったまま周囲を浸潤する糜爛(びらん)性の炎症を引き起こす棘(とげ)でもあり——そして、まことに奇妙なことだが、それらと同時に、幽(かす)かな「希望」の1つでもあった。

  この「だった」の時制は、英語で言うなら現在完了進行形である。
 「最も絶望的な期間」は、いまも疑う余地なく続いているし……そして、その度合いは時を追うに従って深まっており、今後も長く続くことが予想される。



 その友の名は、鄭榮昌 정영창(チォン・ヨンチャン)——私より2歳年少、1957年、韓国・木浦 목포(モッポ)の沖合の小さな島に生まれ、1983年以降、ドイツに居を定めた現代美術家である。

 そして、私のエッセイのタイトルは、
 「フクシマを避け得なかった国から、自己流謫(るたく)の友へ――在独韓国人美術家・鄭榮昌の生と作品に寄せて」——。
 現在発売中の『週刊金曜日』2011年12月9日号(875号)に掲載されている。

 詳細は同誌掲載のエッセイを読んでいただくとして、1点だけ——当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第28信《ドイツ北西部から届いた便り》と、同・第47信《ドイツ北西部から届いた便り〔その2〕》
に登場する「旧友」の「画家」が、この鄭榮昌さんであることを、いま明らかにしておこう。


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 デュッセルドルフ市「藝術家の家」の鄭榮昌さんのアトリエにて。新作『鄭大世 정대세(チォン・テセ)』像(左)および『徐勝 서승(ソ・スン)』像(右)の前に立つ、鄭榮昌さん(右手前)と私。〔写真・遠藤京子さん/2010年12月〕


 昨年12月、当時、寓居を置いていたロンドンでの十数度目かの滞在は、それ自体、いくつか込み入った事情により、困難に満ちたものだった。その——結果的には、これまでのところ最後のものとなったロンドンでの困難に満ちた滞在のさなかのことだ。
 英国も、またヨーロッパ大陸も、過去数年来ない激越な寒波に襲われ、大雪に降りこめられていた。人によっては、12月にこれほどの寒さと雪とに見舞われたのは初めてだともいう。

 ヒースロー空港から、ルフトハンザ機により氷海のごとき雲海の上を運ばれ、鄭榮昌さんが事前のメイルで《全ヨーロッパが、かちんかちんに凍ってい》ると形容していた厳寒のただなか、つねに危ぶまれつづけながら、しかも奇蹟的に一度も空路の乱れに遭うこともなく、《ヨーロッパの地理的中心》と説明されたデュッセルドルフの地に降り立ち、空港のゲートにその姿を見出した瞬間——私は、まず深く打たれた。

 単に、再会の喜びばかりではない。

 その互いを隔てていた歳月を遡り、初めて出会った5年前の時間が、そのまま「現在」に直結した、そのしかたが——ほかでもない、「表現」するという行為をめぐっての、深い困難や不可能性に閉ざされた、おのおのの痛覚を媒介としてのそれであることを、その表情を一瞥した瞬間、私は一種嘆息のような思いとともに確認したせいだった。

 けれども、あの2005年の、これもやはり真冬……京都の地での最初の出会いのときとの最大の違いは——その直前に、ほんの数点の作品をコンピュータ画面の画像ファイルとしてのみ知って、それでもなお強烈な印象を覚えた彼に関して、それから5年後の私は、21世紀初頭の世界における、言葉の最も簡潔な意味での「現代美術家」としての評価を携えていた、ということである。


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 デュッセルドルフ市内の美術街にて。画材店の袖看板がドイツ風である。〔写真・筆者/2010年12月〕


 2005年12月の京都市立美術館別館での『光州(クァンヂュ)事件から25年——光州の記憶から東アジアの平和へ』京都展については、これまで私もいくつかの場で書いてきた。
 1980年5月の光州民衆蜂起における市民軍美術宣伝隊を淵源とし、その後、全斗煥(チォン・ドファン)・盧泰愚(ノ・テウ)らの軍事独裁政権と、まさしく美術表現を通じて闘い抜いた「光州視覚媒体研究所」に集ったメンバーらによる展示は、私が現在までの人生で出会った、最も鮮烈で圧倒的な美術展である。

 極言するなら……自分は、いつか、こうした美術展に出会うことを夢見て生きてきたのだったことが判った——とすら言えるほどの。

 しかも、すでに知遇を得ていた光州民衆美術の旗手ともいうべき洪成潭 홍성담(ホン・ソンダム)さんは別にして、このときが初対面の全情浩 전정호(チォン・ヂォンホ)さん・李相浩 이상호(イ・サンホ)さん・朴光秀 박광수(パク・グァンス)さん・洪成旻 홍성민(ホン・ソンミン)さん・白殷逸 백은일(ペク・ウンイル)さん……そして、鄭榮昌さんという——私自身とほぼ同世代と言える画家たちと過ごした130時間ほどは、韓国と日本という、彼我の隔絶を私自身の個人史に直截、フィードバックする形で——骨身に沁みて思い知らされることとなった強烈な経験でもあった。

 (そのあまりの密度のせいだろう。彼らと最後に深夜の京都の中心部で別れた後、私は1週間余にわたって、体調にかつて一度も経験したことのなかった異変——血尿が続いたほどだった)

 分けても、鄭榮昌さんのプロセスは、私と同い年の洪成潭さんとも、また鄭さんより下、60年生まれの全情浩さんや李相浩さんたちとも異なっている。

 1957年生まれの彼は、80年5月の光州民主化闘争の、そのさなか——まさしく兵役に就いており、まかり間違えば、鎮圧部隊として投入され、市民軍に銃を向けざるを得なくなる立場に置かれていたのだった。
 辛くもそうした運命を免れての除隊後、鄭榮昌さんは大学を卒業し、「暗鬱な祖国を逃れて」ドイツへの留学を決意する……。


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 ドイツでの留学生活を始めた時期、デュッセルドルフ美術アカデミーに移る以前、カッセル美術アカデミー在籍中の自画像を抱える鄭榮昌さん。〔写真・筆者/2010年12月〕


 以後——すでに30回に及ぶ個展、15回のグループ展を重ね、欧州各地の美術館に作品が収蔵され、何冊もの画集も出ている彼の美術家としての営為の稀有の特質については、前述した『週刊金曜日』掲載の小論に綴ったので、ここには繰り返さない。
 本稿と併せて、とりあえず上記のエッセイ「フクシマを避け得なかった国から、自己流謫の友へ――在独韓国人美術家・鄭榮昌の生と作品に寄せて」をご一読いただければ幸いである。


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 連作『Yesterday is Today』を次つぎとアトリエの壁に掛け替え、見せてくれる鄭榮昌さん。〔写真・筆者/2010年12月〕


 若干の制約により、残念ながら同誌では小さなモノクロのカットとなっている写真が、当ブログでは大きなカラー図版として掲載できる。
 ご覧いただければ、その個個の作品の意味は、ある程度、通ずるだろう。


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 『어디로(オディロ=どこへ)』のオブジェの難破船には、大小のヴァリエーションがある。大きな方はFRP製。〔写真・筆者/2010年12月〕


 ——なお、鄭榮昌さんについても、また全情浩さんや李相浩さん、そして洪成潭さんをはじめ他の画家たちについても、韓国民衆美術の表現者たちに関し、書き綴ってきた文章や談話は、日韓いくつかの雑誌・新聞、展覧会図録等に発表したもの、また未発表・未掲載の草稿も含め、厖大な量に達し、堆(うずたか)く溜まっている。それのみで、優に分厚い単行本1冊分には達しよう。

 現在、あまりにも時間が乏しく、対応する余裕のないそれらについては後日——この1、2年のうちに、なんらか別の形でまとめることを考えてもいる。
                                    〔この項、続く〕






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by uzumi-chan | 2011-12-10 08:16 | 美術全般

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