孫正義氏の闘いは、当面のこの国の命運の懸かるそれである 東京電力・福島第1原発事故(第174信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


孫正義氏の闘いは、当面のこの国の命運の懸(か)かるそれである






 おそらくは、大阪“W選挙”の狂躁のせいばかりではあるまい。
 ——むしろ、より深い次元の理由から、メディアではあまり話題にされなくなっていたようだが、しばらく前から、「財界」でも重要な事態が進行していた。


「経団連はまず詫びろ」「理解に苦しむ」 原発めぐり孫VS米倉会長がバトル
 経団連の米倉弘昌会長とソフトバンクの孫正義社長が原発の再稼働をめぐり、バトルを繰り広げている。発端は2011年11月15日に東京・大手町で開かれた経団連の理事会だ。
 理事を務める孫社長が「1日も早く原発を再稼働させることが日本国民にとって、経済界にとって最優先であるかのごとき論調には異議がある」などと米倉会長を批判。米倉会長は21日の会見で、孫社長の発言について「本当に理解に苦しむような理屈だった。誰からも賛同を得られなかった」などと一蹴した。しかし、経団連の会員企業の中には孫社長を支持する声も一部にあり、今後も議論を呼びそうだ。

■経団連の総意ではない、と主張
 経団連の理事会は毎月定例で、経団連が年間100本ほど提出する政策提言や会員の入退会などを承認する。会員企業約1600社のうち、約500 社が理事を務めている。いつもの理事会の議事進行はシャンシャンだが、この日は熱を帯びた。
 議題となったのは、経団連の「エネルギー政策に関する第2次提言」だった。この提言は「政府は原子力が今後とも一定の役割を果たせるよう、国民の信頼回復に全力を尽くさねばならない」「安全性の確認された原発の再稼働が極めて重要」などと明記。再生可能エネルギーについては「風力や太陽 光はコストが高く、出力も不安定なことから、短・中期的にベース電源等の役割は期待できない」と否定的なトーンで書かれていた。
 理事会で孫社長は「この提言が経団連の総意であるかのごとく提言されるのは断固反対だ」と主張。「歴代の経団連の会長、副会長の多くは納入事業者として原発に関わってこられた。国民に甚大な迷惑をかけたということで、経団連としてあることは、まず最初にわびることだ」と力を込めた。
 孫社長は「原発再稼働よりも優先すべき課題がある」などとする意見書を米倉会長に提出し、「安全対策の議論もしていない。十分に議論を尽くして ほしい」と迫った。しかし、米倉会長は「ご意見をいただきましたが、この場で議論をするつもりはありません」と一蹴。食い下がる孫社長の発言を何度も遮りながら、「いたずらに原子力は今の段階でダメであるということは言ってはならないことだ。もっともっと我々の技術で、世界の原子力の安全 性の確保に貢献するような形で、これからも努力していきたいと考えている」と、持論である原発推進論を唱えた。

■「孫社長のスタンドプレー」と冷ややかな声も
 米倉会長は「(理事の)みなさんの時間をとっていいのかという問題もある」などと述べて孫社長の発言を正面から取り上げず、最後は拍手で提言の 承認を求めた。この間、両氏の発言の応酬が何度も重なり、出席者が聞き取れない場面もあったという。
 提言は拍手で承認されたが、孫社長は「少なくとも反対意見があった。満場一致で決まったわけではないことは議事録に残していただきたい」と発言。 米倉会長は孫社長の発言を遮りながら「はいはい。そういうことにいたします」と答え、理事会は終了した。
 この論争については、21日の会見で米倉会長が「まったくかけ離れた理由で、理解に苦しむ理屈だった。単に反対だというのは困った発言だった」と批判。ここでも孫社長の主張に耳を傾ける姿勢を見せなかった。
 米倉会長はこれまで記者会見やマスコミのインタビューなどで「東電は被害者の側面もある。政府が東電を加害者扱いばかりするのはいかがか」 「(原発が)千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」などと、東電や経済産業省を擁護する発言を繰り返している。
 米倉会長の発言をめぐっては、経団連の内部からも異論があり、楽天の三木谷浩史社長は6月、「電力業界を保護しようとする態度が許せない」などとして退会した。この時、米倉会長は三木谷社長を慰留することもなかったという。孫社長は「経団連の中にも多様な意見がある。そういう多様な意見 を封じ込めてはならない。経団連の内部から異議を唱えていくことが必要だ」と、理事にとどまる考えだ。
 ただ、今回のバトルについて経団連の幹部からは、「再生可能エネルギーをビジネスとして手がける孫社長のスタンドプレー」と、冷ややかな声も出ている。》

  (J-CASTニュース 11月27日(日)10時12分配信)
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111127-00000000-jct-bus_all



 一読し、一方ではこの記事に漲(みなぎ)る“擬似中立”“客観主義”の事も無げなノンシャランぶり——「 バトルを繰り広げている」だの、「 今後も議論を呼びそうだ」だの、「 冷ややかな声も出ている」だの……この他人事のような書き振りは何としたことか、という思いもしはする。
 それでも、こうした経緯が細かく報じられたことそれ自体には、重大な意味があるだろう。
 
 私見では、ここに報ぜられた孫正義社長の働きかけは、この国の最終的な命運の懸かった闘いの1つであり、おそらくはそのなかでも最大規模のものである。 

 経団連会長・米倉弘昌の経営する住友化学株式会社が、遺伝子組み換え作物の“総本山”モンサント社 Monsanto Company (本社/米国ミズーリ州セントルイス)と業務提携関係にあることは、この問題に詳しい安田美絵さんからの情報として、当ブログでも、すでに記した。


 この問題に関し、住友化学側は昨日・2011年11月28日付の「見解表明」で、「最近、一部のネット上や媒体等において、当社とモンサント社に関する誤認情報が流布されて」いるとするが、同「見解」で「事実と異な」るとして否定されているような「住友化学はモンサント社の日本におけるエージェントである」だの「住友化学はモンサント社と遺伝子組み換え作物の分野における長期的協力関係の構築について合意した」だのといったことを、論(あげつら)っているわけではない。

 なお、同「見解表明」は《当社とモンサント社との提携は、米国において、モンサント社の除草剤に耐性をもった雑草の駆除のために、当社および当社の米国での農薬開発・販売子会社であるベーラント USA 社の除草剤のラインナップを、モンサント社の雑草防除体系に組み込み、使用を推奨することを内容とするもの》とは認める一方、《上記の誤認等に基づき、日本経団連が TPP(環太平洋経済連携協定)の締結推進を求めている理由に関連付けて説明する情報も一部で流布されております。日本経団連の見解や方針は、当然のことながら、当社はもとより特定の一企業の事業戦略や意思決定に依存するものではなく、同団体の会員企業との意見調整を行い、これを集約しつつ定めていく性質のものであることを、念のため申し添えます。》とも記している。

 (現在の状況を検証する上で、さまざまに興味深い「見解表明」である)

  http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ZVPuO7Ok6TwJ:www.sumitomo-chem.co.jp/newsreleases/docs/20111128_2.pdf+モンサント社+住友化学&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=safari
 

 原発、そしてTPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement=環太平洋戦略的経済連携協定)という、2つの亡国的愚挙を、是が非でも推進しようとする米倉弘昌なる人物の、歴史感覚が半世紀以上、滞っているかのような超古典的資本家性とも形容すべき資質には、ほんとうに異様なものを覚えざるを得ない。

 こうした精神が、しかもこの国の行く末を左右している——瀕死の、息も絶え絶えのこの国に、TPP参加・核汚染放置・原発再開・大規模増税・東京電力免罪……といった空前の亡国的愚挙を、ただ「経済」——「財界」の論理のみで強行しようとしつづけているとき、ソフトバンク・孫正義社長の発言と行動との持ち意味は、無限に重い。
 これを「スタンドプレー」などと揶揄して済まそうとしている手合いは、現状の事態の絶望性を対してあまりにも無知であるか、そうでなければ破滅・自滅に進んで手を貸そうとしている勢力にほかならない。

 「再生可能エネルギーをビジネスとして手がける」——。
 結構ではないか。
 鶏が先か、卵が先か。自らが「善」と考える価値を、事業として追求しようとする以外に、企業家の誠意はない。
 それを、二言目には「スタンドプレー」などと規定して、何事かを言った気になっているのは、自らは何もせずに大勢に呑まれてゆく、無能な悪党の常套句のやっかみにすぎない。

 この国の危機がすでに疾(と)うに臨界点を過ぎ、絶望的な破滅へのプログラムが加速度的に進行しつつあるなか、いまなお「経済優先」「外貨獲得」「殖産興業」「富国強兵」時代の亡霊的精神の残滓(ざんし)しか持ち合わせない、19世紀帝国主義的資本家のミイラのごとき価値観の経団連会長・米倉某と、その米倉某をかくのごとく糾(ただ)す孫正義氏と——いずれの側に道理が存するかは、火を見るよりも明らかであろう。
 そして孫氏の場合、企業家としての確たる、見識・力量と、その結果としての並ぶもののない「財力」の裏打ちとを伴いつつ、その道理を言明する勇気を兼ね具(そな)えている点が重要なのだ。

 東京電力・福島第1原発事故の発生からほどなく、菅直人などをもまだ、なんらか助言・支援・交渉の対象としようとしつつ、また「義捐金」としていちどきに100億円もの大金を拠出する、さらには今後の自らの役員報酬の全額を返上する……云云という、その感覚が、あまりにも直情径行、短絡的でナイーヴすぎる、すべてはもっと熟慮して行なわれるべきではないか、と——氏自身の本質的な意味での誠意をも疑わしめかねない危うさを帯びているかに、私としては考えていた時期があった。

 だが——これは本人にとって、おそらくまったく無関係ではあるまい——10月初旬のスティーブ・ジョブズの逝去に関連し、同じように旧弊を破り、時代を革新した、おそらくは「兄事した」といった側面もあったにちがいない、かの技術者・企業家を回顧し追悼するメディアのインタヴューにも応じたりしていたあたりから、明らかにこの企業家には、それまで以上に明確な使命感のごときものが、より人間的な内実を伴って湛(たた)えられてきているように、私には感ぜられるのだ。

 つい先週のこと、私の年少の畏友であり、遠からずインターネット上で共同作業を始める計画を進めているハイパーメディア思想者・中根秀樹(なかねひでき)さんと、彼のパートナーの営む北千住のヴェトナム料理《HANOI & HANOI》で晩餐を共にした。
 その折り、談たまたま近代日本(厳密には、“擬似近代国家 ”としての明治絶対天皇制以降の日本)における実業家像という主題に及んで、私が一瞬の躊躇もなく孫正義氏の名を挙げたのは、つい半年前なら自分自身、ただちには考えられないことだった。
 だが——現在では、まったく迷いがない。

 少なくとも、戦後日本の総理大臣経験者の誰よりも、孫正義氏の力量と人格とを私は評価しているし、もしもこの国に直接選挙制による大統領制が布(し)かれる……といったことがあったとするなら、現状でも容易に「出馬」が予想される何人かのいじましいファシストたちの誰を措(お)いても、最適の人物氏として、孫氏に立候補し、当選してほしいところだ。

 この夏あたりまで、“総理大臣にしたい人物”人気投票第1位の座にビートたけしが座る、などという、それ自体、出来の悪い政治的冗談(なぜなら、端的に言って、ビートたけしにはそうした能力は欠如しているから)が、いまやさらに形を変え……もはや冗談では済まない、正真正銘のファシストに「国政」が弄ばれかねない悪夢が現実味を帯びつつある。
 このあまりにも無防備で受動的な大衆たちの擬似“民主主義”国家にあっては、なおのこと——。

  中根秀樹さんとの当夜の話の流れの1つも、「日本人における当事者意識の稀薄さ」という主題をめぐってのものだった。


 上述の件は、単に消去法で、孫氏しか残らないというのではない。
 より積極的な意味をもって、この企業家の指導者性への期待は、ある。

 半ば余談になるが、今季のプロ野球『日本シリーズ』における福岡ソフトバンクホークスのオーナーとしての孫氏の立ち居振る舞いも、さまざまな意味で興味深いものだった。
 毎試合終了後、「SON」のネームの入ったホークスのウィンドブレーカーを着込んでダッグアウトに選手を迎える姿に、テレビ解説の野村克也が「これがホークスの強さの秘密じゃないですかねえ」と感嘆していたが、野村にそう言わせる球団オーナーとは、それだけでも大したものである。

 社会人のシダックス野球部時代、その野村の薫陶を受け、今年のシリーズ第4戦6回裏無死満塁のピンチを11球で抑えたリリーフ左腕投手・森福允彦(まさひこ)や正捕手・細川亨とともに、心から嬉しそうに優勝後の「ビールかけ」でビールを浴びる孫正義氏の姿にも、困難な時代の指導者たり得る資質を感ずる。**

 ** 付言するなら、往年の江夏豊の「21球」に準(なぞら)えて称されるようになった、上述の「森福の11球」は、それのみで今季の『日本シリーズ』の「最優秀選手」に推されて然るべき性格のものだった。にもかかわらず彼が、「最優秀選手」どころか「優秀選手」にすら選ばれず、「最優秀選手」はなんら目立った活躍もしなかった小久保裕紀に与えられるといった年功序列そのものの権威主義的な結果を見ると、一体、どんな銓衡(せんこう)が為されているのか、訝(いぶか)るよりほかないが、同様に「優秀選手」を逃した細川捕手と、森福と……この両選手に、祝勝会でとりわけ孫氏が心を寄せているさまがテレビ報道を通じても垣間見られたことも、オーナーとしての氏の炯眼(けいがん)を感じさせる。

 
 このかん、さまざまな事態の推移を見るにつけ、この国の精神風土が内発的な力のみでは臨界点以上に変わり得ないことは、もはや否定し難いようだ。
 その意味で孫正義氏の出現は、瀕死の状態の日本における時代の要請という気がしないでもない。この国に対する、本人の個人的・内的な思いの襞(ひだ)は、むろん忖度(そんたく)し難いとしても。

 むろん経営者であれば、まず自社の利益を考えるのは当然であり、それについての宣伝効果にも、たえず意識を集中させるのはごく自然、かつ、まっとうなことである。
 
 人間、すべてが「ポーズ」であり「演技」であり「売名」であり「スタンド・プレイ」であっても、なんら構わない。
 それらが、ただ——善意と人間愛とに基づくものでありさえすれば。

 その点が、ソフトバンク社長と——小泉純一郎や菅直人、現・東京都知事や新たな大阪市長とを、截然(せつぜん)と分かつものなのではないか。
 iPhone 3GS や iPad 2 の使用者として、現行の同社の料金システムやアクセス・ポイントの状況に関しては、少なからぬ不満もないわけではないが、とりあえず、彼とソフトバンクの健闘を願わざるを得ない。






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by uzumi-chan | 2011-11-29 23:13 | 東京電力・福島第1原発事故

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