山口泉「歴史の著作権は誰のものか?」全文〔3/5〕 ——追悼・李小仙オモニム 韓 国(第4信)


なぜ私は、あの国と、そこに連なる人びとについて、
倦むことなく書きつづけるのか? 
むろん、彼らが素晴らしいから。
しかし、それだけではない。
——私が書いているのは、彼地と彼らのことだけではなく、
実は、「この国」のことなのだ。
いまだ、真の「連帯」と「友愛」というものの根づいたことのない、
この日本という荒寥たる国の……


山口泉「歴史の著作権は誰のものか?」全文〔3/5〕 ——追悼・李小仙(イ・ソスン)オモニ





 私は改めて、李小仙さんが「従軍慰安婦」を強いられた女性たちとまさに同世代の人であることを強烈に認識する。
 李小仙さんはなおも、少女時代を過ごした豆満江(トマンガン)の近くの村での出来事を話しつづけていた。

 日本人植民者が自分たちの村にトマト畑を作り、トマトの苗を植え付けた話。
 自分の国の土地に勝手にトマトを植えられて、それをなぜ食べることができないか。義憤に駆られた李小仙さんは、そのトマトを取ってきて、皆に分けて食べたという。

 それが発覚して拘束されたとき、日本の警官はそんな大それたことをしでかしたのが背丈の小さな少女であることにあきれたらしい。
 駐在所に連行された李小仙さんは、警官に日本刀をかざして脅された。だが彼女は日本刀を前に、たじろがず、自分を殴った警官を殴りかえしさえしたという。

 もともと彼女の父は独立運動に携わっていた。
 日本の横暴な植民地支配を憤った、そのときの気持ちは、いまだに変わっていないと李小仙さんは語る。いくつか日本語の単語が、明瞭に発された。

 手で床を叩きながら繰り出される、李小仙さんの迸(ほとばし)らせる激しい打擲(ちょうちゃく)のような言葉に、通訳の卞漢植さんばかりではなく、傍らの鄭明子さんも伏し目がちになって聴き入っている。
 一つには、日本人である私や友人に対するある種の心遣いのようなものもそこにはあったのだろう。卞さんが、通訳に際していくらか表現を和らげていることは、私にも分かった。

 かなりの時間が過ぎ、李小仙さんは話し疲れたように黙り込んで新しい煙草を取り出す。

 私は、自分自身の戦後世代の日本人としての「戦争責任」についての考えを伝えようとした。その部分の通訳に、卞さんはさらに私の政治的・歴史的立場をも彼自身の言葉で補足して説明してくれているようだ。
 李小仙さんは頷きながら、沈痛な表情で煙草をくゆらせている。

 私は、昨今の日本の市民運動や労働運動勢力がいとも安易に「韓国民衆との連帯」を語る風潮についての自らの見解を述べた。
 眼を閉じて聴いていた李小仙さんが、低く応じる。
 「日本についての気持ちは変わっていないが、しかしそれでも、労働者の国際的な連帯はやっぱり大事なことだ——そう、言ってます」
 卞さんが私を振り返って、通訳してくれた。
 「ともかく、こうして来てくれることはありがたいそうです」

 それから李小仙さんは
 「現在の韓国経済は外国資本に100パーセント解放されてしまっている。これでは経済的に植民地になったのと同じことだ」
 と述べ、金大中政権に対する一定程度の期待を語った。
 かつて労働運動の資金調達のため、縫製工場の品物を売り歩いたという李小仙さんの「自分は学校を出ていないことが力になった」という言葉は、同胞の二人の若い同志——鄭明子さんと卞漢植さんとに向けられた励ましでもあったのだろう。

 卞さんの提案で記念写真を撮らせていただくということになる。
 李小仙さんは、全泰壹氏の日記の一節が、故文益煥(ムン・イクフアン)牧師の妻——朴容吉(パク・ヨンギル)氏の筆で墨書された扁額のまえに私たちを案内してくださった。

 これでおいとましようと思っていたら、李小仙さんは台所の方へ立って行かれ、大皿に山盛りになった蓬(よもぎ)餅を持ってきてくださる。
 手ずから作られたという、その黄な粉のたっぷりまぶされた香り高い草餅をいただきながら、私は、満腔の思いに堪えつつ、しかも労働者の連帯は必要だと語られたさきほどの李小仙氏の言葉を思い、自分自身が日本人であることの屈辱が体内をめぐり始めるのを、改めて感ずる。

 これは、全泰壹を育てた手が拵(こしら)えた餅なのだ。

 ——かぐわしい蓬餅を噛みしめながら、そう思うことは、そのときの私にとって自然な心の働きだった。

                                    〔この項、続く〕






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by uzumi-chan | 2011-09-21 03:20 | 韓 国

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