山口泉「歴史の著作権は誰のものか?」全文〔2/5〕 ——追悼・李小仙オモニム 韓 国(第3信)


なぜ私は、あの国と、そこに連なる人びとについて、
倦むことなく書きつづけるのか? 
むろん、彼らが素晴らしいから。
しかし、それだけではない。
——私が書いているのは、彼地と彼らのことだけではなく、
実は、「この国」のことなのだ。
いまだ、真の「連帯」と「友愛」というものの根づいたことのない、
この日本という荒寥たる国の……


山口泉「歴史の著作権は誰のものか?」全文〔2/5〕 ——追悼・李小仙(イ・ソスン)オモニ





 最初の挨拶と、私がこれまで全泰壹氏や李小仙さんについて書いてきたこと、今回の表敬訪問の動機を朝鮮語でお伝えしてから、以後の会話はその大半を卞漢植さんに通訳していただくことになる。

 「たしかにあれは自分の息子だが、そんなに大きなことをした人間なのか……」
 李小仙さんが煙草に火をつけながら、俯いて呟く言葉を、卞さんが伝えてくれる。
 ややあってから、
 「全泰壹氏のことは、つらくて、亡くなってからしばらく思い出すことができなかったそうです。……だけど、その最期の言葉で『これからの人生で、私がやらなかったことをやってください』と言われたのを思い出して、『戦う労働者は皆、子どもだ』と頼まれたので、勇気を出してがんばってきたそうです」

 大きく溜め息をつきながら、李小仙さんが細く手繰りだすように続ける途切れがちの声に、卞さんは耳を澄ます。
 「でも息子より、その後に続いて戦った人たちの方が偉い。労働運動で斃(たお)れていった立派な人たちがたくさんいる——そう、李小仙さんは言っています」

 全泰壹氏の没後、李小仙さんが担い続けてきた警察・検察・企業主側との闘いが、「全泰壹の母」という枠を超える、一個の人間としての全人的なものとなったことは、私もいささかは承知している(それはときとしてKCIAをも相手取るものとなった)。


 《……われわれは去る7月2日、経費節約を理由に排水施設の稼働を中止し、代りに雑役夫閔鍾鎮氏に有毒ガスの充満した排水管の掃除を命じ、彼を窒息死に追いやった協信皮革(ソウル市永登浦所在)の犯罪的人権無視を許すことはできなかった。われら、ソウル・仁川地区7つの労組代表300人は、7月10日、われらが母と仰ぐ李小仙女史(略)を先頭に労働庁を訪れ、職場の安全、有害作業場に対する監督の徹底化、労働運動弾圧の中止、清溪商店街の賃上げ履行等の要求をつきつけた。これに対する彼らの返答は警察の緊急出動であった。(略)

 ……7月22日の夜、50人余りの私服刑事が、李小仙女史の家をとり囲み、「スパイをつかまえにきた」と大声でわめきながら、入浴中の彼女をほとんど裸身のまま、逮捕連行、遂に起訴する蛮行をほしいままにした。李小仙女史は7年前、われら600万労働者の苦しみを一身に担い、労働者の団結した闘争を訴えつつ、23歳の若き命を惜しみなく炎の中に投げ込んだ全泰壱先生の母堂であり、韓国のすべての労働者の心の母親である。そしていま彼女にかぶせられた罪目は「法廷侮辱罪」だというのだ。

 李小仙女史の逮捕と同時に数百名に達する警察が出動して、何ら理由もなしにわれらの「労働教室」(訳注・李小仙女史室長)を不法占拠してしまった。貧しく、知識に飢えているわれら縫製労働者たちの学びの殿堂であり、明日への希望を吹きこんでくれる希望の泉であり、また憩いの場所であった「労働教室」は、彼らに奪われてしまっている。(略)

 彼らは裁判という仮面劇の舞台にわれわれの心の母親李小仙女史を引きずり出し、偽りに塗り固められた罪目を掲げて3年の懲役刑を科した。(略)
 7年前平和市場の街頭で、一致団結したわれらの闘争を求めつつ、若い命を火炎の中で燃やしつくした全泰壱先生の偉大な精神をうけつぎ、われら決然として立ち上って、われらの母親と「労働教室」を奪い返そうではないか。(略)》

 (ソウル・平和市場労働者「決死宣言」1977年9月9日/韓国民主回復統一促進国民会議日本本部宣伝局編『韓国労働者の叫び——全泰壱氏の生涯とオモニたちの闘いの記録』民族時報社・1977年刊から/「全泰壱」の文字遣いは原文のまま)


 全泰壹氏をめぐる回想が一区切りした後、李小仙さんはさらに遠くを見る眼差しになって、煙草の煙を吐きだした。
 「自分も、昔は日本語をしゃべったが、もうすっかり忘れてしまった」
 その卞さんの通訳が終わったかという次の瞬間、不意に溢れるように話しだした李小仙さんの、それまでとは明らかに異った語勢の言葉のなかに、明瞭な日本語(イルボンマル)の単語があった。

 卞漢植さんが驚いたように私を振り返って通訳する。
 「李小仙さんは、日本軍の『女子挺身隊』に入れられそうになったことがあるそうです。16歳のとき、『挺身隊』に入れられそうになって逃げたんだそうです」

                                    〔この項、続く〕






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by uzumi-chan | 2011-09-21 02:53 | 韓 国

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