菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない 東京電力・福島第1原発事故(第124信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために——


菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない




 どうやら、菅直人・枝野幸男政権が終焉するらしい。

 あれほど、さまざまな立場の人びとから、一刻も早い終焉を切望されてきながら——日本の1政権として、この国のみならず周辺アジア地域に空前の禍根を残し、とりわけ日本それ自体に対しては、当初の「地震」「津波」とも比較しようのない、もはや事実上、恢復不可能の打撃を、東京電力・福島第1原発事故と、その最も緊迫した決定的期間における、功名心・自己顕示欲・それと表裏一体の無能さに徹し切った、最低最悪の対応(厳密には「不対応」)によって齎(もたら)しておきながら……結局、もはやその「退陣」そのものにすらなんの意味も見出し得なくなった、この期に及んで、ようやく。

 ——ちなみに、以前から、時折り用いてきたこの「菅直人・枝野幸男政権」なる概念の根拠について、あるいはまだ明確な定義を提示してなかったかもしれない(どこかの「地の文」において、簡略な説明を施してはいたはずであるが)ので、ここで一言しておく。

 官房長官が仙谷由人だった時期から、国会答弁ひとつ独力ではできず、つねに官房長官に口添えないしは代弁してもらっていた内閣総理大臣・菅直人の無能ぶりは、官房長官が枝野幸男に替わってからも、いっこうに改まる気配がなかった。

 とりわけ、3月11日以降のおよそ1週間——この国とそこに生きざるを得ない人びと、そして周辺アジア地域の自然環境の命運が決せられた、その重大な時期、政府・内閣を代表して国民大衆を欺き続ける記者会見を飽くことなく繰り返し続けたのは、ひたすら官房長官・枝野幸男にほかならなかった。
 そのかん内閣総理大臣・菅直人が行なったのは、次項で述べるとおり、いずれもこの国を決定的な滅亡へと導く主因となった3月12日早朝の福島第1原発「視察」と15日払暁の株式会社東京電力本店訪問という、考え得るかぎり最も過誤に満ちた“パフォーマンス”のみだったのであり、それ以外のすべての時間、政府・内閣は、情報操作上、官房長官・枝野幸男によって表徴されていた。
 
 私が、この日本近現代史上、最悪最低の政権を「菅直人・枝野幸男政権」と規定する所以(ゆえん)である。
 なお、このことは当然、3月11日から現在にいたる、この絶望的な自滅核戦争において、枝野幸男が菅直人と同様、最重罪の戦争犯罪人としての責任を負っていることを意味してもいる。**

  そのかん、一体、菅直人は、どこで何をしていたのか? 
 私は、首相官邸地下のシェルター(そうしたものが、むろん当然、設置されていることだろう)に退避しつづけていたのだという以外に、この内閣総理大臣の所在は考えられないと思う。
 そしてまた、現在も進行中の東京の、実質上、福島県の広汎な地域と選ぶところがない高放射線汚染状況下、おそらくは「皇居」等のそれと並んで、最も高性能の、そのシェルターを退去せざるを得なくなることも、菅直人が内閣総理大臣の地位に恋恋とし続けた理由の軽視すべからざる1つだったのではないかとも、推測している。

 ** もとより、こうした比較は安易かつ軽軽に行なうべきことではない。
 だが、腐敗し切った制度圏ジャーナリズムを巻き込んでの大衆民主主義的な輿論(よろん)操作と、それのもたらす取り返しのつかない大破局という点では、この半年間——とりわけ「3・11」直後のほぼ10日間、枝野が展開した行為は、今後の人類史において、ドイツ第三帝国における宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス Paul Joseph Goebbels(1897〜1945年)のそれにも準(なぞら)えられるべき性格を帯びていると、私は考えている。


 それにしても、なんと空しい政権交代であることか。

 何より、もはやすべては遅いという、痛恨の決定的事実がある。

 そして、3月11日以降、この愚劣にして悪辣な政権が存続してきたことに、ただの一瞬たりとも、なんらの倫理的正当性もなかったように、今回、それが終焉することにも、なんら論理的合理性はない。
 しかじかの「法案」が「通過」すれば辞める、という「駆け引き」は、そもそも何なのか? 

 一般論としていうなら、「成立」させるに値する法案を提示し得たとするなら、それは当該政権が存続する理由になれこそすれ、終焉する理由にはならないのではないか。
 どこからどこまで、この国の自称「立憲政治」——擬似「議会制民主主義」は腐り切っているのか。

 こんな次元のものでも、なお「政治」ではあるらしい、その「政治」の常として、変化が起こるとき、その速度は甚だ急激なものとなる。
 また、これは「私事」と言えば言えるが……今春——ちょうど「3・11」に前後して、私やNPO「オーロラ自由会議」を含む何人もの友人たちの時間をさまざまに奪ってきた、構造的には東京電力・福島第1原発事故と同根・同質の問題への対処、その他に追われつづけているうち、結果として、過去123篇の〔東京電力・福島第1原発事故〕連作のみならず、他の——〔絵本『さだ子と千羽づる』〕連作その他もすべて同様に、当ブログ『精神の戒厳令下に』のいっさいを挙げて切望し、また要求もしてきた、この愚劣かつ悪辣な政権の終焉に際し、これまで持ち越してきた草稿類のアップロードが間に合わない。

 一瞬の間隙もなく気に懸かってはいたにもかかわらず、この心貧しい国の最悪の時代に生まれた作家として、その全存在の全エネルギーを振り絞って闘い続けるべき——寝る間も惜しんでキーボードを叩きつづけ、寝るなら液晶モニタの電磁波を浴びつつのうたた寝で済ますべき期間、脳が焼き切れ、頭から煙が立つまでテキストを生成すべき期間に、体力・気力の根本的な欠如から来る、この不手際は、なんとしたことか。

 まことに忸怩(じくじ)たる思い……と記すしかないのではあるが、何より、たとえそれが終焉したところで、菅直人・枝野幸男政権が刻印した歴史的犯罪性は消滅しようがないという自明の前提のもと、それら草稿はいずれ順次、それぞれに一定程度の超歴史的普遍性を確認的に賦与させた後、アップロードされてゆくことにはなるだろう。

 私は、菅直人・枝野幸男を、絶対、永遠に許さない。

 この国に生きざるを得ない人びとの生命・健康に深甚な被害を加え、生活を破壊し、自然環境を滅ぼした、この二人の愚劣かつ悪辣な、欺瞞に満ちた為政者を。

 また、この自滅的核戦争に際しては、彼らの情報統制に加担したマス・メディアの共犯性も同様である。
 とりわけ、3月11日以後の3週間、それらが果たした役割は、結果として十五年戦争中のそれらに匹敵、ないしはそれらを凌駕するものがある。
 それらメディアと、そこに寄生し続ける似而非(えせ)文化人どもの「戦争責任」とは、絶対に等閑に付されてはならない。

 十五年戦争の場合、その責任追及は、はなはだ不十分、かつ戦勝占領国の手によって為されるという、不適切な形式のものでしかなかったにせよ——それでも、その最高責任者を除き、最高責任者に次ぐ何名かの権力者をはじめ、一定程度の「処罰」は、ともかく為されるには為された。
 
 それが、今回の場合、まったく為されてはいない。

 長期的な健康被害を免れ難い人びとの総数、自然環境の不可逆的な破壊という点では、到底、第二次世界大戦の比ではない惨害をもたらした「核戦争犯罪人」たち——内閣総理大臣・菅直人、官房長官・枝野幸男らをはじめとする閣僚、そして加害企業・株式会社東京電力の会長・勝俣恒久、社長・清水正孝(当時)ら幹部が、その悪行を糊塗・隠蔽し、なんらその責任を問われることなく放免されようとしているという異様な状況が続いている。

 ——次項で、菅直人・枝野幸男政権に関し、現段階で確認し得る罪状についての簡略なメモを提示しておく。






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by uzumi-chan | 2011-08-28 22:23 | 東京電力・福島第1原発事故

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