米国という、恐怖と絶望——「浜岡原発停止要請」〔5〕 東京電力・福島第1原発事故(第78信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


米国という、恐怖と絶望——菅「浜岡原発停止要請」の意味〔5〕



 
 前項で、

 〔この項、たぶんあと1回だけ、続く〕

 などと書きながら、案の定、その前に補足しておくべき事案が生じてしまった。

 必ずしも当カテゴリーで扱うのが適切かどうか、判断しかねる部分もあるのだが、論理の往路としては、一連の菅直人首相の対応の問題点という文脈の延長上として……また同じく、論理の復路としては、結局のところ、今般の東京電力・福島第1原発事故をも包含する、現代世界におけるアメリカのハイパー帝国主義的支配の問題として——とりあえず、ここに提示しておく。

 まず2本ほど、新聞報道を引こう。

 《【ベルリン篠田航一】ビンラディン容疑者殺害の報を受け、「殺害の成功に喜んでいる」と2日にコメントしたドイツのメルケル首相に対し、身内の与党・キリスト教民主同盟からも「どんな悪人であれ、人の死について公に喜びを表すのはキリスト教徒として不適切だ」と批判の声が上がっている。
 同党は基本綱領でキリスト教精神に基づく政治をうたっており、メルケル首相も父がプロテスタントの牧師という家庭に育った。発言に対し、野党や教会関係者だけでなく、キリスト教民主同盟のカウダー連邦議会議員も「まるで中世のような復讐(ふくしゅう)の思想だ」と非難した。
 発言は、死刑を廃止した法治国家の長として問題だとの指摘もあり、ザイバート政府報道官は会見で「首相も人の死と喜びを結びつけるのは不適切だったと認識している」と釈明した。
 ドイツでは今回の米国の作戦に批判的な意見も根強く、シュミット元首相はテレビ番組で「主権国家であるパキスタンの領土での殺害は(善しあし両面ある)両刃の剣だ」と問題視した。》
 (『毎日新聞』電子版 2011年5月9日 11時00分/ルビは原文)

  http://www.excite.co.jp/News/world_g/20110509/Mainichi_20110509k0000e030016000c.html

 いかにも、「どんな悪人であれ、人の死について公に喜びを表すのは不適切」である。
 ——ただし、それは「キリスト教徒として」ではなく、あくまで「人間として」不適切なのだが。

 しかも繰り返し、指摘してきているとおり、ウサマ・ビン=ラディン氏が、いかなる「悪人」であるのか、それはいまだ詳(つまび)らかではない。
 少なくとも「アメリカの敵」であるということなのなら——そのことがただちに、必ずしも人間として誤っていることを意味しはしないのは、歴史的事実に照らしても明らかである。

 ヘルムート・シュミット(1918年—)の発言は、当然である。
 むろん私は、この元・西ドイツ首相の事績を無条件で肯定するものではない。だが、たとえば彼が1962年2月、ハンブルク州の内務相在任中、北海大洪水に際して連邦軍の出動を要請したような対応力を、今回の東京電力・福島第1原発事故発生の当初、もしも菅直人首相が迅速に示していたとしたら、一連の事態はここまで危機的なものとも絶望的なものともなってはいなかったろう。
 
 ちなみに菅直人首相の対応について言うなら、3月12日朝、斑目原子力安全委員会委員長を伴ってのヘリコプターによる現地視察も、同15日払暁の株式会社東京電力本店への「乗り込み」も、5月6日の「中部電力・浜岡原発停止要請」も、いずれも上述のヘルムート・シュミットの判断とはまったく異なる。

 そもそも、他の何よりもまず自社の原子炉の存続を優先して絶望的危機を招いた株式会社東京電力のごとき悪徳企業に、この国土に生きるすべてについての生殺与奪の権を与えた——その初動の判断を誤っていたのであり、当初から「政府主導」で自衛隊ないし米軍による対応を図るという選択が、北海大洪水におけるシュミットの判断に当たると考えるべきだろう。

 しかも、現に内閣総理大臣である菅直人にとっては、ハンブルク州内相のシュミットが決断するにあたっての「超法規性」の懸念をどうクリアするかといった桎梏すら、まったくなかったにもかかわらず。

  今回の東京電力・福島第1原発事故という危機にあって、米軍の協力を得ることは、以下の叙述において私がアメリカを「人類にとっての恐怖と絶望」と規定することと、言うまでもなくなんら矛盾しない(——とりわけ、自らが特権的知識人と思い込んでいる輩に限って、この程度の読解力すら具備していないことを再確認させられる経験を私はしばしばしているので、あえて付言しておく)。
 そもそも日本に原発が林立する、この悪夢のごとき戯画的状況自体、もともとはアメリカが強いたものという側面もある。

 カウダー連邦議会議員の「まるで中世のような」云云も、むろん誤ってはいない。

 かねて私は1989—92年以降の世界状況が、度し難い「新しい中世」的なものであると表明してきたが**イスラムが宗教的ドグマであるというなら、アメリカに代表されるキリスト教帝国主義はそれ以上に残忍なドグマとして機能してきたのであり、一言で言うなら社会主義の構想した「平等」の理念が蹂躙されたあと、私が危惧した「新しい中世」的状況が、いまや刻刻、精神の放射能のごとく全世界を覆い始めているということにほかならない。

 ** 月刊『世界』1992年4月号〜12月号の連載『新しい中世の始まりにあたって』=のち、94年に『「新しい中世」がやってきた!』として、岩波書店刊。とくに同書・第3信「『歴史』は完了してなどいない」を参照。——なお私自身は、連載当初の題名が、より適切と考えている。

 日本の惨状を反面教師として、いち早く「脱原発」へと方針転換したとされるメルケル自身も、その政治家・人間としての倫理の水準は、この程度のものだということだ。
 アメリカという、ある意味、全人類にとっての「恐怖と絶望」そのものである超大国が支配している現状世界にあって——。

 もう1本、これも現在の「新しい中世」的状況を如実に示す報道である。


 《国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が、米軍によるビンラディン容疑者殺害について「正義が達成され、とても安心している」と声明を出したことについて、職員から批判の声が上がっている。
 ある男性職員は「国際人権法に照らして適法かどうか不明の段階で喜ぶのは、国際法を尊重すべき国連のリーダーとしては不適切だ」と指摘した。ある女性職員は「正義が達成された」のくだりに驚いたという。「正義が達成されるためには、人道に対する罪の容疑者として国際刑事裁判所で裁かれるべきだった」。別の女性職員は潘氏が今年末で任期満了を迎えることに触れ、「再選するために政治的影響力の強い米国を批判できないのだろう」と語った。
 国連人権理事会で超法規的な処刑問題を担当するクリストフ・ヘインズ特別報告者は6日声明を出し、対テロ戦闘で「殺傷力の行使は最後の手段として許される場合がある」としながら、「今回の作戦で(殺害以外に)容疑者の拘束を認めていたかの確認が極めて重要」と指摘した。(ニューヨーク=春日芳晃)》
 (『朝日新聞』電子版 2011年5月7日19時35分/ルビは同前)

  http://www.asahi.com/international/update/0507/TKY201105070289.html

 
 ……これが、苟(いやしく)も「国際連合事務総長」の発言とは。
 
 《別の女性職員は潘氏が今年末で任期満了を迎えることに触れ、「再選するために政治的影響力の強い米国を批判できないのだろう」と語った。》……。

 何かを思い出さないだろうか? 
 
 そう、ウィキリークスによる情報公開で明らかとなった、現IAEA事務局長・天野之弥が、昨年の事務局長就任直前、「重要な決定では、つねに米国側に立つ」と言明しアメリカの支持を取り付けていたとされる事実である(天野自身は、この件に関し、一貫して沈黙しつづけている)

 この件については、当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第27信《日本人の危機意識をさらに腐蝕させかねない、IAEAの無力と頽廃》でも詳述しているが、この「国際原子力機関」なる組織が結局のところ、今回の東京電力・福島第1原発事故において、マイナスにこそなれ、ほとんどなんの役にも立たなかったことも、ある意味で怪しむに足りない。

 本稿の最初で、私は今回の話柄に関し「必ずしも当カテゴリーで扱うのが適切かどうか、判断しかねる部分もある」と記した。
 だが結局のところ、すべての問題はつながっており、アメリカという、人類にとっての恐怖と絶望が支配する、そうした世界において、東京電力・福島第1原発事故は発生したということになるだろう。

 昨5月10日、広瀬隆氏を招いて行なわれた国会での「議員勉強会」の冒頭、企画者の一人として短い挨拶をしたのは鳩山由紀夫・前首相だった。

 ——以下に、映像がある。

  http://j.mp/jTlF40

 内外いずれに向けても孤独な闘いを志向しつつ出発した鳩山政権が、かくも短命のうちに圧殺されたことが、返す返すも惜しまれる。


                     〔この項、ほんとうにあと1回だけ、続く〕




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by uzumi-chan | 2011-05-11 19:23 | 東京電力・福島第1原発事故

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