旧自民・別働隊の醜悪——「浜岡原発停止要請」〔3〕 東京電力・福島第1原発事故(第76信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


旧自民・別働隊の醜悪——菅「浜岡原発停止要請」の意味〔3〕



 
 4月29日、衆議院予算委員会での、福島出身、中曽根康弘以降の日本の「原発族」議員の領袖の一人、民主党最高顧問・渡部恒三による、朴訥さを装った会津弁(本来、花巻弁などと並んで、私の知る美しい東北弁の1つ会津弁が、この政治家によって語られると聞こえよがしの押しつけがましいものとなる)の自己演出に貫かれた質問は、いくつかの点で、現在の「2大政党」状況の構造的欺瞞を象徴するものと見做し得よう。

 これまで、当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第4信《「謝罪」という名の暴力について》その他でも簡略に触れてきてはいるが、60億円の交付金と引き換えに「プルサーマル」計画まで引き受け、東京電力・福島第1原発3号炉にプルトニウム入りのMOX燃料まで仕込んだ、甥の現・福島県知事、佐藤雄平ともども、今般の東京電力・福島第1原発事故の局を招いた張本人である渡部が、あたかも無謬の第三者ででもあるかのように郷里・福島県の危機を慨嘆して見せるさまを、もしも醜悪な猿芝居と呼んだら——それはたぶん、猿に失礼なもの言いであるにちがいない。

 破廉恥漢とは、どこにでもいるものだ。
 ただ今回の場合、渡部恒三の犯し、しかも頬被りしようとしている罪科は、すなわち全人類的な規模のそれだというだけのことである。

 しかしながら、渡部恒三が、よりいっそう民主党のなかの自民党別働隊としての本性をいよいよ剥き出しにしてきたのは、以下のような「質問」を菅直人に向けてする、その意図においてだった。

 《菅直人首相は29日午前の衆院予算委員会で、東日本大震災発生後の先月19日に自民党の谷垣禎一総裁に電話し、副総理兼震災復興担当相として入閣を要請したことについて、「適切でなかった。思慮に欠けるものだったと反省している」と述べた。同党の石破茂政調会長への答弁。 石破氏は「財政再建、安全保障など基本的な政策に合意がない限り、連帯して行政の責任を負うことはできない」と指摘。これに対し、首相は「谷垣氏が大きな方向として(民主、自民両党の)連立を考えていただけるなら、きちんとした政策協議を行い、一定の連立合意が必要になると頭に描いていた」と釈明した。
 これに先立ち、民主党重鎮の渡部恒三最高顧問も質問で「間違ってはいないが、やり方がいけない。まだ政治経験が浅い」と苦言を呈した。さらに
「私なら自民党本部に行って、谷垣氏に手をつき『国のため、あなたが首相になってください。私は副総理でお仕えします』と言っただろう。そうしたら谷垣氏も断れなかった」と語った。》
 (時事通信 電子版 2011年4月29日13:18)

  http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042900202


 これは、一体、何なのか? 

 苟(いやしく)も議会制民主主義の政権与党の領袖が、勝手に野党党首のもとへ赴いて「手をつき」「国のため、あなたが首相になってください。私は副総理でお仕えします」などと勝手に口走ったなら、それこそ電話で入閣要請した(これも十分に呆れ果てた話だが)などというのとは比較にならぬほど、民意をも国会をも無視した軽挙妄動と言わざるを得ないだろう。

 それを主張するのが、こともあろうに「与党」民主党の「最高顧問」だという。
 この臭気芬芬(ふんぷん)たる茶番は、そもそも一体? 

 ……これに対する菅直人の間抜けな答弁ぶりにも、まさしく愚昧宰相の面目躍如(めんぼくやくにょ)たるものはあるのだが。

 当ブログ前項〔東京電力・福島第1原発事故〕第75信《闘ってきたのは誰か——菅「浜岡原発停止要請」の意味〔2〕》でも述べたとおり、現内閣総理大臣・菅直人の本質もまた欺瞞に満ち、その欺瞞性は終始一貫してまったく変わらない。
 だが、しかしある意味、もしも現状、存在していたのが——幸か不幸か——依然として自民党政権であったとしたら、今般の菅の「浜岡3号機・4号機停止要請」程度の判断すら、なされることはなかったろう。

 ……ただし自民党政権だったら、東京電力・福島第1原発事故をここまで破滅的段階に引き延ばすことなく、発生当初から米軍の支援をむしろ積極的に要請するなど、別の展開が在り得たかもしれない。「幸か不幸か」と付言したのは、そうした意味である。

  さらにまた、ただし——この点については、一方で私が、現在もなお、その可能性をまったく棄て去ってはいない、当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第51信《1つのおぞましい可能性について——菅直人・内閣総理大臣への公開質問状》ほかでも懸念を表明した「ブルトニウム貯蔵による核兵器開発」「自前核武装」という“野望”が、もしも現実に存在し、それが自民党政権時代から続いていたのだったとすれば、果たして上述のごとく、すんなり米軍の援助を受け容れる、という展開をたどったかどうかも、また未知数である。

 これはもはや幸か不幸か……と段を超え、明らかに自らが政権に就いていなかったときに東日本大地震とそれに伴う大津波、そして東京電力・福島第1原発事故が発生したことを奇貨として、自民党は——実は日本にかくも原発を林立させた責任のアルファからオメガまでが自らの側に存するにも関わらず、現状、菅直人・民主党政権に対する批判、というよりは醜悪卑劣な攻撃のフリーハンドを確保しているかのごとく振る舞っているからだ。

 国内でもかつて何度か、起こってきた原発事故と明らかに次元を異にした、この東京電力・福島第1原発事故のような場合に、もしも自民党が自力核武装計画を進めてきていたとして、アメリカおよびその軍隊に対し、どのようなたいおうを採ったか——ないしは、今回の経緯のなかでも私たちの知りようのない部分でそうした動きがあったのか、どうか。
 それは分からない。

 ただ、いずれにせよ、歴史的・間接的には、本来、菅直人をすら含む民主党政権以上に重大かつ圧倒的な責任を負っているはずの自民党が、一方ではその官僚機構との癒着ぶりをむしろ得得として披瀝しつつ、それを持ち得ない民主党政権への優越性を誇示する一方、歴史的責任の問題において、あたかも2011年3月11日以降、不意に日本に出現した新興政党ででもあるかのように振る舞って見せる、本末顚倒した、言語道断の醜悪な擬似“裁判劇”臆面もなく展開しつづけているのは紛れもない事実である。

 そしてその典型とも象徴とも言えるのが、前述した別働隊としての渡部恒三であり、またいまや“福島の悲劇”を一心に背負っているがごとき演技を続ける佐藤雄平であろう。
 前任者の佐藤栄佐久の場合、自身は冤罪を主張する「収賄」罪という形で失脚させられた後、それでも原発誘致に関して自らが負うべき部分の責任を言明しつつ、福島の現状を憂えているのに対し——佐藤雄平の臆面もない「被害者面」はあまりにも厚顔無恥というしかなく、それはそっくり、連携作業にいそしんできた伯父の渡部恒三にも当てはまる。

 (付言するまでもないが、こうした場合の「姻戚関係」は、両者がともに政治家である以上、当然、問題にされねばならない。佐藤栄佐久の女婿が、現・国家戦略担当大臣の玄葉光一郎であることも、むろん同様に主権者国民が知っておいて良い事柄である)

 いずれにせよ、現状、渡部恒三という政治家の言動は民主党最高顧問のそれとして見るべきではない。
 それはむしろ、現在にいたるまでの歴史的プロセスに関しては、日本の「原発族」議員の責任転嫁と歴史湮滅工作の代表例として、また今後の時間軸のなかでは、菅直人の愚昧さによって増幅してゆく「政局」(……下卑た言葉だ)が、最終的に民主党政権の存続不可能をもたらした段階からあと、臆面もなく自民党が政権与党として復活してくるという最悪のプログラムのなかで、どのような「政界再編成」が企図されようとしているか、その最も倫理の度合いの低いケースのシミュレーションとして見るべき性質のものにほかならない。

 最悪の加害者が悲劇の被害者面を装って、その口からさんざん嘘を並べ立てた、鉄漿(かな)錆び臭い唾液を目頭に塗りたくり、嘘泣きの涙にすりかえてみせるという、このまま推移するならまさしく「石が浮かんで木の葉が沈む」と形容せざるを得ない展開には、もしも日本がこのまま自民党政権に復したら、どれほどの地獄が復活し、確実にこの国の息の根を止めるかが示されている。


                              〔この項、まだ続く〕




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by uzumi-chan | 2011-05-09 21:31 | 東京電力・福島第1原発事故

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