東電の尻ぬぐいに税金使うな! 市民の会 東京電力・福島第1原発事故(第9信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……

東電の尻ぬぐいに税金使うな! 市民の会


 当スレッドの第3信「加害企業・東京電力の無限責任」でも述べた、政府により東京電力に対し、いち早く打ち出された『原子力損害賠償法』の「例外規定」適用の話を、オーロラ自由アトリエ代表・遠藤京子さんにしたところ、遠藤さんが早速、Facebookを使って《東電の尻ぬぐいに税金使うな! 市民の会》を立ち上げた。
 現在、少しずつ、未知の参加者も集まってきているという。

 《東電の尻ぬぐいに税金使うな! 市民の会》
 http://ja-jp.facebook.com/home.php?sk=group_100753600009348&ap=1

 官房長官・枝野幸男らは、形ばかり、一義的な責任は東京電力にあり、同社が引き受け切れない分を国が肩代わりするというニュアンスの弁解を繰り返している。
 だが、いまだ「原発に蓋もできない」現状でのこうした“配慮”は、あまりにも「原子力行政」(……!!!!!!!!)を推進してきた「政」「財」「官」「学」の癒着を先行自白するものでしかないだろう。

 震災・津波の被災者が呻吟し、それでもなお、この国に生きるよりほかない人びとが未曾有の核事故の恐怖におののくなか、この「愚鈍な政府」は、一体、どこを向いているのか? 

 原則的にいうなら、たとえ日本と、その地に生きる人びとが、今回の核被害をかろうじて切り抜けることがあり得たとしても、法人格としての同一性という意味では、株式会社東京電力を延命させてはならない。絶対に。

 単に道義的・法的・経済的責任の問題ばかりではない。いささかでもそれを存続させる限り、この加害企業は、「石棺」化された原発の内部でも、なお致死性放射線をまき散らす核燃料のごとく、従前の癒着構造のもと、日本に再び「核災害」をもたらす「原子力発電」の存続・拡大・拡散を企図しつづけるだろうことが、火を見るよりも明らかだからだ。

 1私企業として、この国土に生きるすべての生命を危殆に瀕せしめたという、その取り返しの着かない罪科からすれば、その程度の処罰は当然であろう。
 株式会社東京電力を延命させてはならない。
 
 先便でも述べたことだが、繰り返す。
 東京電力は国に接収し、国営化すべきである。

 ちなみに、オーロラ自由アトリエは、1991年に拙著『アジア、冬物語』(1991年)を最初の本として刊行、以後も、SHANTI(シャンティ/絵本を通して平和を考えるフェリス女学院大学学生有志)による絵本『さだ子と千羽づる』日本語版(1994年)・朝鮮語版(1995年)・英語版(1996年)=1997年に第3回「平和・協同ジャーリスト基金賞」大賞受賞=等の書籍、季刊「批判精神」等の雑誌を通じ、現実世界のすべての問題を対象とする以上、「核廃絶」を最重要の主題の1つとするのは当然のことという立場から、持続的な出版・普及活動を続けてきている。

 いずれ当ブログでもお知らせするつもりだが、毎年8月、広島・平和記念公園で行なわれている上記絵本『さだ子と千羽づる』の野外朗読会は、SHANTIメンバーやNPO「オーロラ自由会議」によって、日本語版刊行以来、17年にわたり、続けられてきた。

 私は毎年、その絵本『さだ子と千羽づる』を朗読する友人たちの傍らで、伴奏のチェロを弾いている。その回数、8月4日午後から日没、8月5日の朝から日没、8月6日の朝から日没までの間に、無慮50回。

 J.S.Bach『無伴奏チェロ組曲』と、韓国運動圏の歌曲を中心に、17年間、弾き続けてきても、なお……毎回、各曲の深さを新たに見出し、それを、日本全土はもとより、世界各国から集った聴衆、および読み手たちと共有する思いのする、このチェロ演奏プログラムについては——夏が、今年もまた、この国にめぐってくるなら、その頃に記そう。




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by uzumi-chan | 2011-03-24 15:24 | 東京電力・福島第1原発事故

作家・山口泉のブログです。


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