「果して日本は正義の戦を……」 ——『原子野のバッハ』Ⅷ「十月」回顧メモ


『生き抜くための省察録』から

「果して日本は正義の戦を……」

 ——『原子野のバッハ』Ⅷ「十月」回顧メモ


夜の言葉〔第013葉〕


 
 私の著書『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』(2012年/勉誠出版刊)は、その全体が2011年3月~2012年1月までの11箇月に対応した「篇」構成となっており、当ブログ『精神の戒厳令下に』のうち〔東京電力・福島第1原発事故〕カテゴリーをその原形とした各月「本文」の前後に、それぞれ「篇」扉裏1ページの「回顧メモ」と、「篇」末のかなりの分量の【補説ノート】が付される形をとっている(他に「序詞」「序章」「終章」「あとがき」あり)。
 

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 いま、本来すべきことは多くあるが、取り急ぎ、同書の第Ⅷ篇「十月」の「篇」扉裏「回顧メモ」(『原子野のバッハ』p.372)を、ここに抄録しておきたい。

 この「十月」とは、むろん2011年10月のこと。同年3月が第Ⅰ篇なので、8箇月目の10月が第Ⅷ篇となっている。
 (なお、「回顧メモ」はそのすべてを各「 篇」扉裏の1ページに収める体裁を採った関係で、字数の都合上、第Ⅷ篇「十月」のそれについては草稿から1節、割愛している部分がある。今回はその部分を灰色の文字で「復元」しておく)

 私は小林秀雄については、ここに引いた『文学と自分』および『疑惑2』(ともに1940年)を中心に、これまでもさまざまな場で批判してきた。
 それでも、いままた、3年半以上前に草したこの小文をここに掲げる意味は、当ブログをお訪ねくださっている読者には御理解いただけるだろう。

 後半部分は、とりあえず同書を著した時点での極めて強い批判として、こうした形をとっている。しかしここには一種の「歴史的話法」として、過去の経緯に照らし、このままではそうなってしまうという警告の意図をお汲み取りいただけるだろうし、事ここにいたって、それを手を拱(こまね)いて座視しているわけにいかないことは言うまでもない。

 私としては、2011年3月からの10箇月ほどの期間に、本書『原子野のバッハ』で取り扱った問題が、ここ4箇月ほどのあいだに、当初の東京電力・福島第1原発事故自体、いよいよ収拾不可能な破局が隠蔽される欺瞞をその芯に含みつつ、さらに巨大な危機の螺旋(らせん)となって、この国を呑み込み尽くそうとしているとの焦慮と危機感に駆られている。

 いかにも——。
 そう言ってしまえば、それは今に始まったことではない、という話になるのだろう。

 だが、その種の鈍感な〝論法〟を、私は拒否する。峻拒する。

 いま始まっている事態は、もはやすべてが刻刻「手遅れ」となりつつあるなかで、いよいよほんとうの破滅の……しかも初期というよりは、明らかにもっと深刻な段階なのだ。

 それだけは明言できると、私は考えている。


  ……………………………………………………



「果して日本は正義の戦を」



 事故が発生した直後、政府と東京電力が結託し、〝御用学者〟を動員して「安全」デマを流し、それでも足りず見え透いたやらせの「計画停電」キャンペーンまで張って、福島第一原発の血も凍る惨状から国民大衆の関心を逸(そ)らしていた頃から――改めてしきりと蘇ってくる言葉の幾つかがある。

《果して日本は正義の戦をしてゐるのかといふ様な考へを抱く者は歴史について何事も知らぬ人であります。歴史を審判する歴史から離れた正義とは一体何ですか。空想の生んだ鬼であります。》
           (小林秀雄『文学と自分』一九四〇年)

 ……こうした愚劣な詭弁を書き連ねて戦争協力〝知識人〟の旗手となった、まぎれもない文学者としてのA級戦犯・小林秀雄は、にもかかわらず戦後も「日本文壇」に君臨し、死ぬまで絶対的存在として神格化されつづけたばかりか、いまもその空疎な権威主義を崇拝し、模倣する手合いが引きも切らない。この一事を思ってみただけでも、東京電力・福島第一原発事故は起こるべくして起こり、そしてその惨憺たる帰趨はなるべくしてなっている結果ではないかとの思いは、いよいよ強まる。
 私は東京電力・福島第1原発事故「以後」の気分が、あまりに十五年戦争の――その「戦中」の精神状況に酷似していることに戦慄する。当事者意識の稀薄さ。善悪の観念の根本的欠如。真の怒りの乏しさ。「和」を以て尊しと為す相互監視の、世間体の、ムラ社会の桎梏……。

  一隊の兵を見送りて
  かなしかり
  何ぞ彼等のうれひ無げなる
                (石川啄木/一九一〇年) 

 いや、おそらく――実は「うれい」はあるのだ。彼ら一人一人の胸のうちには。
 しかしながら、この国の人間は、それを他者に伝え、以て真に「連帯」することだけは決してできない。
 そしてそのまま、軍隊という最も非人間的な強制力、相互監視によって「統率」された集団に追い込まれるに到るまで、為す術もなく国家の意図に添い、命をも失うところまで追い込まれざるを得ないのだ。

   〔山口泉『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』
                 Ⅷ「十月」回顧メモ/了〕







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by uzumi-chan | 2015-03-31 03:47 | 【C】夜の言葉

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