ファシズムと人間性との闘い——いま、沖縄県民であって良かった
2015年 03月 24日
『生き抜くための省察録』から
ファシズムと人間性との闘い
——いま、沖縄県民であって良かった
夜の言葉〔第012葉〕
翁長雄志・沖縄県知事ら県首脳による、沖縄防衛局に対しての「辺野古作業停止指示」の緊急記者会見——。
政治家のメディア会見で、目頭が熱くなる思いをしたのは、いつ以来になるか。
(あるいは、思いがけず直近の、それは昨年末の衆院選・沖縄選挙区のことであったかもしれない)
同席した安慶田光男・副知事が一昨日、辺野古・瀬嵩(せだけ)の浜での県民集会で登壇した最後に、ほとんど満を持して……という面持ちで語った「もうすぐ知事が重大な決断を下す」との予告が、今回こそは期待を上回る迅速さで実現した。
この安慶田・副知事は、一昨日の瀬嵩でも、きょうも、その過不足ない的確な弁舌に強い印象を受けた人である。
いかにも、現・沖縄県政の幹部が、日本国政府の閣僚たちとは比較にならぬ知性を具備していることはもとより明らかだ。そして、あまりにも隔たった「理念」と「現実」の懸隔に架橋する困難な作業を、その中心において担う翁長知事が自ら、本日の決断を決定的なものと認めた——そのことに、強い印象を受ける。
沖縄に、理不尽な屈服・屈従以外のいかなる道をも認めようとせず、粗野な暴政の限りを尽くしてきた、傲岸な日本政府。
本日、先回りしての牽制的な記者会見でも、沖縄の懸命の抵抗を愚弄し、寒ざむとせせら笑って見せた官房長官・菅義偉。
名護市長選・市議選・県知事選・衆議院選……度重なるすべての選挙を通じ、唯一無二の方法で示されてきた、懸命必死の民意を——しかも平然と蹂躙する、それでも自らはそのつもりでいるらしい〝先進国〟に到底、あり得ない、絶望的な国家権力。
この常軌を逸したファシスト政権の横暴に対し、本日の沖縄県首脳による歴史的な記者会見は、人類が今日まで積み重ねてきた精神史の到達点に位置する意思表示として、ある。
『日本国憲法』を頂点とする国内諸法の観点からも、またより普遍的な人道・人倫においても、これを蹂躙することは許されない。
いまや沖縄の闘いは、「国家権力」への「基本的人権」の抵抗というその本質が、いよいよ明白となった。
むろん安倍政権が、妄執のごとく続けてきた圧制を、これで停止する筈もあるまい。
さらに「外遊亡者」たるその総仕上げのように、4月に行なうという訪米で、この史上類例を見ない、無恥・無能・無教養・愚昧・愚鈍を極めた、ただおぞましい支配層の係累の末裔だというにすぎない、最悪のぶざまな軍国主義ファシストの内閣総理大臣が、どれほど「売国」「亡国」的妄言を繰り出すか——。
それは、想像するだにおぞましい。
だが、このかん何度か言及してきたとおり、それ自体、私からすれば、必ずしもすべての領域において決して〝十全〟というわけではではない……また換言するなら、だからこそ冷静な「現実主義」を携えているとも言い得るのかもしれない——現・沖縄県政の首脳たちは、とりあえずそこまではすべて織り込んでいることだろう。
そして、慎重過ぎるほど慎重な彼らが、しかも遠望している今後のプロセスには、否応なしに日本国家とのより過酷な対決も、少なからず高い可能性として待ち受けている。
その県知事らもついに「不退転」の決意を表明し、さらにこの対決の構図が完全に鮮明なものとなりつつある以上——ヤマトンチュとしてのもろもろを含みつつ、自ら選択した沖縄県民という立場において、私の選ぶべき道は、これまでもそうであったように、はっきりしている。
私は沖縄に生きる者として、日本政府の圧制に対する、沖縄の思想的・運動的抵抗に、ますます全面的に参与し、連帯する。
これは、ファシズムと人間性との闘いなのだ。
沖縄に移住して——いま、沖縄県民であって、良かった。
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by uzumi-chan
| 2015-03-24 03:35
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