〝日本の民主主義は死んだ〟のか? 〔反戦・平和〕第7信
2013年 12月 07日
すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……
〝日本の民主主義は死んだ〟のか?
——2013年12月7日に記す、
走り書き風草稿メモ
以下は、2013年12月7日という日付を持った、走り書き風のメモとして、お読みいただきたい。
『特定秘密保護法』なるものとそれに付随する参議院本会議の一連の〝審議〟を、内閣不信任案から、安全保障特別委員会委員長問責決議案、そしてくだんの法案の「採決」に到るまで、インターネット中継で視聴しつづけた。
同時に、国会周辺をはじめとする日本各地の市民による反対の動きを伝えるツイッター情報……等等にも接しながら。
まず何より、これほど重大な……まさしく戦後日本「憲政」史上、最も重大であると同時に、極めて高い確率でその息の根を止めかねない状況を招来する国会審議が——既存の、既得権に満ちた「制度圏」マス・メディアでは中継されなかったこと。
とりわけ〝公共放送〟NHKが、これら絶望的な歴史的時間に、いかなる「番組」を放送していたかは、たとえ、もはや爾後(じご)のこの国においてはそれを十全に検証し、書き留めようとする営為すら、予想も及ばない掣肘(せいちゅう)を受ける可能性があるとしても——少なくとも「人権」「自由」の概念がいまだ存立している諸外国の歴史家・メディア研究者によって、永遠に拭い難い「暗愚」と「恥」として記録されることだろう。
真に屈辱的な国であり、社会である。
ちなみにNHKについて言えば、この組織は、すでに戦前——1926年に、現在と何ら変わることのない「日本放送協会」を標榜して後、十五年戦争の全期間を通じ、「大本営発表」を垂れ流しつづけて、日本軍国主義による純然たる被害者であるアジア民衆(*)と、受動的加害者でもあった自国の民に、死と苦難を強いた、まさに「戦犯放送機関」そのものとしての自らの戦争責任を、唯の一度も、なんら償うこともなかった。
そして、自らの名称すら変えることなく、一貫した連続的主体性を伴って、連綿と「戦後」日本の愚民政策を推進してきた、その厚顔無恥な歴史の果てに、今国会に際しては政府・与党のまさに「共犯者」として、この決定的な悪法審議の模様を市民・大衆の目から遮ったのである。(**)
* この「アジア民衆」には、日本の植民地支配により「日本国臣民」に組み込まれた他国・他民族の人びとをも含む。
そして言うまでもなくそれらの人びとの被った惨苦は、植民地支配の結果として、より構造的なものともなっている。
** こうした事情は、相対的な差こそあれ、既存の新聞においても、ほとんど変わりはしないが。
……以上は、裏返せば、もっぱらインターネットというメディアが、この末期的な期間において果たした一定の役割について、改めて多くを示唆する。
なるほど、前述の腐りきった「制度圏」メディアすら、少なくとも今般よりは〝いささかは、まし〟だった「六〇年安保」当時と現在との、状況の重層的な隔たりを思うとき、既存のマスメディアの無惨な衰退に対して、インターネットがその代替の回路となり得るかについては、私は必ずしも楽観できないと考えてきた(実はいまでも、この懸念には、基本的に変わりはない)。
だが現状、国会内外の状況と、それにインターネットで連携する動きには、眼前で1つの新たな地平が開かれつつあることも感ずる。……と書きつけたところで、急いで断っておくと——だからといって、それ自体が一つの「希望」であるなどというには、現状はあまりにも深刻すぎるが。
ただし、いずれにしても、東京電力・福島第1原発事故という国家犯罪と、その後の厖大な放射能汚染との先制暴力を受け、物理的にも民衆が日本各地に分断されているなかでは、私たちは当面、一義的に、このインターネットという回路に頼るしかない。
(またそれを受けて、昨夜、国会周辺に参集した人びと、また各地で街頭に出た人びとには、むろん敬意を覚えるし、賛同・連帯の意を表する)
既存メディアが人間性の底を踏み抜いた低劣醜悪なものと成り下がっている現在、私たちはなんとしてもインターネットという回路を死守するしかないだろう。
2011年3月11日、東京電力・福島第1原発事故の発生以来、人類史上空前の規模で降り注ぎ、さらには「流通」されられつづけている放射性物質から少しでも逃れる、まさに「生死」を分かつ情報の命綱として、そこに縋ってきた事実を、こと改めて確認するまでもなく。
そして昨夜の参議院本会議での「審議」そのものについて言えば、なるほど問責決議案をめぐってにせよ、またくだんの悪法そのものについてにせよ、野党側議員の「討論」には見るべきものがあり、また——あまりにも、あまりにも遅すぎたにせよ——ある種の熱誠は覚えなくはなかった。
しかしながら、結局のところそれらすべてが既定のプログラムであったかのように「消化」され、その果てに、一種悪夢のごとく「記名投票」が始まって、あっけなく『特定秘密保護法』が「可決」された——その最終局面は、やはり当事者たち野党議員らがどう言い繕おうと、すでにはるか以前から敗北していた、その敗北に対し、結局のところなんら見るべき抵抗を示すこともできず、この国に破滅への不可逆点を通過させた——あまりにも惨めな大敗北だったとの印象を拭い得ない。
すでに私がツイッター等でも指摘してきたことだが、何がどうであろうと、結局のところ『特定秘密保護法』を成立させてしまっては、少なくとも真に国会議員としての責任を果たしたことにはならないのだ。
繰り返す。
現状は、真に危機的であり、絶望的である。
最低限の真っ当な批判精神、状況認識の能力を具(そな)えた者なら、どんなに絶望してもしすぎることはないほどの。
目下のところ「1年以内」とされている、この悪法の「施行」時期が、実際の問題としていつになるのか?
小さからざる関連要因として、〝愚かな日本大衆〟——「愚民有権者」など、すぐに今回の事態を忘却するだろう……と高を括っているにちがいない政府・与党関係者が、来春の統一地方選の帰趨(きすう)についても楽観していたところで、なんの不思議もない??
だが、権力はさらに狡猾であるだろう。
たとえば政府与党が目下、選挙権賦与年齢を18歳に引き下げようと企てる意図は、何なのか。広告代理店や金融メジャー「シンクタンク」等を総動員しての「調査」「検討」の結果が、現状の雪崩を打って「保守化」「反動化」「軍国主義化」に向かっている(?)、自分で自分の首を絞めている(??)若年層大衆(???)の「投票行動」を見越しての、「援軍」「補完戦力」を当て込んでのことでなければ幸いである。
そしてくだんの『特定秘密保護法』が、そもそも選挙との関連においてどのような作用を果たすことになるか——。
私は極めて深い危惧を覚える。
現状、「次の選挙」で事態が打開される、といった観測は、明らかに現実的ではない。
絶望の極において、なんらかの光明を見いだそうとする努力は必要だ。だが、それが偽りの——紛い物の「希望」であってはならず、人はつねに現実から出発しなければならない。そしてそのためには、直視したくないかもしれない、すべての「最悪の可能性」を凝視することだ。
まず、そこからしか、何も始まりはしない。
むろん、私にも有効な「方策」など、ありはしない。そもそも、こうした地点にまで追いやられることを避けるためにこそ、『特定秘密保護法』の「成立」は、〝何が何でも〟阻止しなければならなかったのだから。
衆議院通過の後になって、ようやく「反対」の声を上げ始めた一部〝名士〟らのごときは、あまりにも遅すぎる。
私にも、なんら有効な「方策」など、ありはしない。
だが、いま言っておいた方が良いと考えることはある。それが、どんなに陰陰滅滅たる話であるにしても。
昨夜に至る、この期間——この種の言葉を幾度、聞かされたことか。
〝民主主義は滅んだ〟……
〝日本の民主主義が死んだ〟……
だが——ほんとうに、そうか?
以下、いよいよ、陰陰滅滅たる話である——。
《人は、生まれるまえに死ぬことはできない。共産主義は死んでいない。なぜなら、それはまだ生まれていないのだから。このことは、社会主義についても同様である。》
(ミカエル・レヴィ『「現存社会主義」の危機に関する12のテーゼ』Twelve Theses on the Crisis of “Really Existing Socialism”)(***)
*** 初出、『Monthly Review』1991年5月号。
この論文の筆者、ミカエル・レヴィは、パリ科学研究センター社会学主任。小著『「新しい中世」がやってきた!』(1994年/岩波書店刊)……というより、その前身である論攷『新しい中世の始まりにあたって』(月刊『世界』1992年4月号〜12月号連載)の劈頭(へきとう)近くにおいて引用したこの論文の存在を、私が、畏敬する国際問題評論家・山川暁夫氏(大阪経済法科大学教授)から教示された経緯は、小文『ある「学恩」——山川暁夫さんを悼む』(季刊『批判精神』第4号=特集「いよいよ歴史教育が危ない」2000年3月、オーロラ自由アトリエ発行)に詳しい。
だから、私はあえてレヴィの顰(ひそ)みに倣(なら)って——こう、記してみよう。
《人は、生まれるまえに死ぬことはできない。〝日本の民主主義〟は死んでいない。なぜなら、それはまだ生まれていないのだから。》
いかにも、90年代初頭になお「現存社会主義」と「ほんとうの社会主義」「ほんとうの共産主義」との関係を希望的に遠望する研究者に較べ、〝日本の民主主義〟に関する、私のこの言い換えは、それ自体、暗澹たるものである。
(なんという話か……)
けれども、それでもなお……この68年に及んだ「戦後」に、実は、ほんとうに、ほんとうのほんとうの、自らの手で摑(つか)み取った、自前の、血肉と化した「民主主義」があったのか、どうか——。
それを深く問い詰めるところから始めなければ、昨夜の『特定秘密保護法』「成立」にまで到る、この国と社会の問題は、永遠に未解決のまま、私たちは国家に生殺与奪の権を握られつづけて終わるだろう。
たしかに、政府・与党の卑劣さは凄まじい。
だが、それを本来の「危険水域」のはるか手前で防ぎ止めるような手立てが——力が、そもそも私たちの社会の根底に乏しすぎる。
いかにも、本稿はなんの解決にもなっていない。なんの「方策」も指し示さない。
だから最初から、断っておいたではないか。陰陰滅滅たる話である——と。
だが、それは事実が……現実が、陰陰滅滅たるものだからなのだ。
ちょうど、東京電力・福島第1原発事故が——日本どころではない、人類にとっての絶望的事態であるように。
私の作品を読まれてきた方なら御存知のとおり、本来「絶望」は、私にとって極めて親しく、また重要な感情である。
だが、それにしても……2011年3月11日以来の、人類にとっての最終局面ともいうべき一連の事態を通じても、私がこの1昼夜ほど、絶望的な思いでいることはない。
「収拾」の可能性が見えない、東京電力・福島第1原発事故。
本来は理性的に避け得るはずの「緊張」が、一気に、とめどなく高まっている東アジア情勢。
基本的人権が総否定される悪法の濫立。
目前に迫ったTPP「参加」強行。
そして——。
それにしても、少なくとも、いま〝日本の民主主義が死んだ〟といった水準の捉え方をしているかぎり、私たちの破滅はさらに逃れようもない、確実なものとなるだろう。
ほかでもない、直近の「未来」の問題として——。
このかんの事態は、そもそも真に自らの手で摑み取った、自前の、血肉化した「民主主義」を持たないまま、あたかもそれが存在するかのように振る舞ってきた〝戦後日本〟の——私たちの国と社会の到り着いた「必然の帰結」なのだ。
政府・与党の厚顔無恥な、そして粗暴雑駁な卑劣さは、当然、この世の終わりまで糾弾されるべきものだとしても。
——最低限、その認識なくして、来春へと向かう過酷を極めた日日のなか、いかなる打開も、状況悪化阻止の道も、見つかりはしない。臨界点を超えたファシズムは、本来、あくまで行くところまで行くだけだ。
予定調和的・希望的観測、浅薄な楽観論が、いま、なんの役に立つのか。〝今後〟に対する「野党」議員の党派的スローガンは、かなりの程度まで欺瞞である(これ以上、反対党としての存続が自己目的化してしまわぬことを——)。
現状のままでは、〝この期に及んで、まだ気づかないのか……〟と、真に茫然とさせられる選挙結果が、今後もさらに待ち受けることだろう。ただでさえ、はね返すのが容易ではない〝稀代の悪法〟下の状況で、私たちにとどめを刺すように。
いま——〝日本の民主主義が死んだ〟と、事改めて嘆いているようでは。
その虚構としての〝戦後日本〟〝「戦後」民主主義〟の神話に対し、うすうすは感づいていながら、なお見て見ぬふりをしてきた、その長年月の最終的な投影、手も足も出ない姿が、昨夜の真に絶望的・屈辱的な「採決」であったことだけは、少なくとも明らかであると、私には思われる。
何度も言う。陰陰滅滅たる話である。
そして、〝どうすれば良いのか〟……??
だが、しかし、むろん「未来」を断念しているわけではない。
絶望と断念とは、同義語ではない。
続稿は、できれば遠からず——なんらかの形で。
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by uzumi-chan
| 2013-12-07 22:58
| 反戦・平和