『 死の国からも、なお語られ得る「希望」はあるか?』〔3/5〕 東京電力・福島第1原発事故(第217信)
2013年 11月 24日
すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……
山口泉
『 死の国からも、なお語られ得る「希望」はあるか? ――24の断章と1篇の序詞』〔3/5〕
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私はキュリー夫妻やアインシュタインを、絶対に許さない。回復不可能な過ちを犯した者たちの説く「平和」や「人間性」を、決して認めない。
彼らがいなければ、広島・長崎も、ビキニもなかった。今日の惨状が、当初は予見できなかったというなら、それは彼らの科学者としての決定的な資質の欠如を示しているのだ。そして「知的探求心」とは、核暴力の免罪符ではない。
彼ら科学者の功名心と権力欲が、いま現に福島に生きることを強いられる子どもたちの甲状腺を損傷している。
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いつ、誰が、「原子力」で電気を作ってくれなどと頼んだか?
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助けてください。
私たちはいま、日本政府と東京電力、そしてそれに追随するマスメディアや御用学者らの手によって、絶望的な放射能ガス室列島に閉じ込められている。
私たちはいま、自分たち自身がすでに殺されていることにすら気づかない、絶望的な愚者にほかならない。
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いま「希望」を語ることは冒瀆である。人が現実に被っている惨苦に対して。
種としての人類ではない、個人は一回性の生を生き、死ぬことしかできない。人は他者への教訓や恐怖のサンプルとして生まれるわけでもない。
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だが、それでも語りうる「希望」があるか?
だとしたら、それは誰による、誰のための「希望」?
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いまや、すべての力を振り絞って闘わねばならない。
作家としても、人間としてもだ。
〔以下、続稿〕
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by uzumi-chan
| 2013-11-24 20:40
| 東京電力・福島第1原発事故