2012年4月30日 日 録(第17信)


帯電した、巨きな雲がうごくように……

2012年4月30日




 
 2012年4月末日——。

 すでに記しているとおり、このかん新著『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』(勉誠出版)の書き下ろし分テキスト制作の作業に前後して、現状では手に余るツイッター
  https://twitter.com/#!/yamaguchi_izumi
 を始めてしまったりした関係もあり、当ブログ『精神の戒厳令下に』の更新が完全に停止してしまっている。
 毎日、アクセスしてくださっているであろう方がたには、ほんとうに申し訳ない思いでいっぱいでいる。

 2011年3月11日から、13箇月と19日。
 くだんの大破局の翌月——2011年4月には、1箇月で52本もの論攷(ろんこう)をアップロードしたことからすれば、まさしく「隔世の感」があるが……そもそもその〝この世の終わり〟以後、「世界」はおのずから決定的に変質したのだから——あるいは、そんな慨嘆自体、さほど意味を成さないものであるかもしれない。

 先日来、申し訳のように、このブログの左脇に、ツイッターでの発言が同時に反映されるよう設定してはみたものの、これは私が構想したブログ『精神の戒厳令下に』本来の姿ではない。
 (こうしたことがなんとかできないか……と漠然と思っていた措置は、いざ始めてみると、なんとあっけないほどものだったが)

 いずれにしても、たとえばツイッターについて見たとき、その疑いようのない伝播力、「人と人とを結びつける力」は実感する。ただ、また同時に、時としてその一部には、ある種、避け難いかにも思われる不徹底さ(あえていうなら〝浅さ〟と〝雑駁さ〟)や類型性、さらには、すべての発言が時間の腐蝕のなかで絶え間なく「下位」へと追いやられ、〝消費〟されてゆくさまに、「言論」のありようとして、他の幾つかの気がかりな点**とともに、少なからぬ閉塞感をも感じないではない。


  ただし、ひるがえって言えば、それ自体がツイッターの危うさと表裏一体となった「力」の1つでもあることは、むろん私とて承知している。

 ** これらの問題については、来月上旬、同志社大学に招かれて行なう東京電力・福島第1原発事故を機軸としての現代日本社会論の特別講義でも取り上げるつもりでいる(後日、録画ないしはサマリーを公開予定)。



 だが、そうしたいっさいを含み込みつつ、そして何より本来の「言論」としての限界も痛切に感じはしながら——なお、持てる方法と形式のいっさいを挙げて発言しつづけてゆかねばならないというのが、現在というこの局面なのだろう。

 もはや、状況には一刻の猶予もない。
 日本のみならず、東アジアをはじめとして、世界数億以上の人びとの生死が懸かった危機が、一種恒常的なそれとして続いている。

 よもや、次に震度5以上の地震が来るか来ないかに、「世界」の存続が懸かる状況が「常態」となろうとは……。
 
 そんななか、改めてブログ——さらには、それより手前の「紙」のメディアならではの展開も視野に入れつつ、同時にツイッターその他の発言も並行して進めてゆく、という方向を選択せざるを得ないことになるのだろう。

 このかんのいくつかのSNS経験は、インターネット言論装置における言説の「振り分け」について、若干、試行する期間だったのだと、目下、私自身は考えようとしている。
 (そしてむろん、私もまた、上述した複数のメディアを通じての発言を続行する考えでもいる)
 『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』にただちに続く、「紙の本」の存在をも含め。
 
 この極限的な状況下、つねに「現実」に対しては遅れつつ、しかもそれらすべてが一瞬一瞬、日本という絶望的な国家・社会に対する〝最終の伝言〟たらざるを得ない言葉を提示するこのブログにおける最新の言説として——さしあたり、『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』の「序詞」(書き下ろし)を、以下に引いておこう。

 ご覧いただければ幸いである。


 偽りの「希望」を棄てよ。

 真の「希望」とは、あくまで、冷静な「絶望」に耐えつづけること。
 この世の終わりの後の日本で、いま携えるべきは、あの者たちへの怒りと、滅ぼされ還り来ぬ世界への愛惜のみ。

 私たちがいま、なお、生き、語らっていることは、紛れもない最大級の奇蹟である。
 私たち一人一人が生まれてきたことに等しいほどの。

 私は刻印したい。
 冷静な絶望の言葉を。


 すでに「取り返しのつかぬ今」を、
 もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
 それでもなお、あの愚者たちにだけは、殺されないために――。

 真の「希望」とは、
 果てしない「絶望」を見据えながら、諦めないこと。
 本来、人が生き得ない世界で、なお、人として生きようと願いつづけること――。

 最初から敗れ、人として終わっている者たちを恐れるな。
 最後まで「連帯」はある。私たちの側に。

   (山口泉『原子野のバッハ——被曝地・東京の三三〇日』序詞)






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by uzumi-chan | 2012-04-30 23:58 | 【B】帯電した、巨きな雲が……

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