よもや「永遠」と、こうして出会うことになろうとは…… 東京電力・福島第1原発事故(第182信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


よもや「永遠」と、こうして出会うことになろうとは……






 年の終わりに形ばかり間に合わせるように、日本政府と株式会社東京電力とは福島第1原発の4基の原子炉の「廃炉に向けた工程表」なるものを発表した。

 最長40年、30年〜40年をかけて原子炉解体までを行なうというが、まず何よりやりきれないのは、この当事者たち——自分たちに全責任があるはずの加害企業・東京電力関係者や政府閣僚・官僚らに「最長40年」という歳月への痛みの感覚がまったく 欠如しているかにしか思われないことだ。
 これだけのことをしでかして、数千万の人びとの人生を完全に狂わせ、またその生命・健康に深甚な打撃を与えておきながら、最初から最後まで、他人事のように平然と「最長40年」と口にする、その冷え冷えと無機質な意識——。

 (何ひとつ、真実というもののない彼らの口にする言葉なのだから、この「最長40年」は、むしろ「最低40年」もしくは、相当程度の確率で「最初から不可能」ということなのだと、おそらくは読み替えなければなるまいが——)

 それにしても、40年。
 40年とはどういうことか、口にしている彼らは、ほんとうに理解しているのだろうか。

 その「生」のすべての局面にわたる、本来なら切れば血の出るような痛みの感覚の——しかも根本的欠如に、私は改めて暗澹たるものを覚える。
 まこと、日本を最終的に滅ぼすものは電力会社だった。

 かつて誰かが「永遠とは、30年のことだ」と言った。
 けだし名言であろう。

 ——私がそれを知ったのは、たしか鶴見俊輔が会田由訳の『ドン・キホーテ』を賞揚する短文のなかで引用した誰かの言葉だったと記憶しているのだが……その出典が何か、どうしても思い出せず、また調べてみても不思議と判らない。
 (どなたか、御存知の方がおられたら、御教示いただきたい)

 そうなのだ。「永遠」すら、実は30年なのである。
 それが、人間にとっての具体的な時間というものだ。
 40年とは、すなわち「永遠」以上——超「永遠」の時間なのである。
 (私見では、実は「最低40年」…… もしくは「最初から不可能」と、彼らは腹のなかで舌を出している可能性が高いのだが)

 いずれにしても同じこと、どうせ自分たちは死んでいるはずなのだから、後は野となれ山となれ……と、高を括っているというのが、彼らの本音なのだろう。自分たちが生きているあいだだけ、面白おかしく満ち足りて、特権的生活を享受しつづけられさえすれば良い、と。
 政府閣僚も、経済産業省官僚も、厚生労働省官僚も、文部科学省官僚も——そして、東京電力幹部も。

 さらにまた、それは庶民大衆の側も同様であろう。あるいはむしろ、いっそう強く持たざるを得ない思いかもしれない。

 現在、中高年の人びとはもとより、若い世代にあってはまた別の時間感覚から、自らの「生」が——生涯が、このような鬱陶しい「尺度」によって時間の目盛りをつけられてしまうのは我慢ならないに違いない。世界は、すでに決定的に壊されたのだ。
 (少なくとも私だったら、自分の十代・二十代の頃を思うと、そうした心的反応をしていた可能性が高い)

 だが、身近に一人、例外が存在した。

 出版社オーロラ自由アトリエ代表にしてマクロビオティック・シェフの遠藤京子さんは、1949年生まれ、現在、62歳であるが——この政府発表を聞き、それでは40年後の「廃炉」を見届けるまでは生き延びてやる、と言い出している。

 そして、

  《福島第1原発の廃炉を見届けるまでは生きる、団塊世代の会》

 を結成することにしたと発表し、自らの周辺にも呼びかけ、また各種SNSを通じて参加者を募っている。

 ポジティヴである。

 102歳。
 現在の彼女の健康状態や、マクロビオティックの食生活を基本に、古今東西のオルタナティヴ医療にも造詣深く、もろもろ健康に細心の注意を怠らないところからすると——この低線量放射線の漲(みなぎ)る状況であっても、それはあながち不可能な企てではないかもしれない。

 (むしろ、それよりはるかに実現性の危ぶまれるのが、そもそも40年で東京電力・福島第1原発事故に決着がつくかどうかではないか——)

 私の場合、40年後は96歳ということになる。
 もともと私は密かに、100歳までは生きる計画を温めていたものの(必ずしも軽からぬ宿痾も抱えながら、なんという野心……)、福島第1原発事故のせいで、その計画はいったん「凍結状態」に入っていた。

 しかし、《福島第1原発の廃炉を見届けるまでは生きる、団塊世代の会》の参加者が増えるようであれば——つねに「団塊の世代」が徒党を組んで踏み蹴散らして行った後を、つねにただ一人、苦労しながら道を拓いてきた者として、やはり後れを取るわけには行くまい。

 毎日、“公共放送”の定時のニュースで流される「放射線情報」。
 線量計を携えて歩く、若い母親たち。
 電車の片隅に貼られている〝放射能から身を守る〟健康食品のステッカー。
 放射能対策マニュアル本が並ぶ、新聞一面下の「3八つ広告」。
 「ND」(Not Detected =不検出)の文字ばかりが犇(ひし)めくことからも明らかなとおり、決して十分とは言えないにせよ、ともかく一部大規模小売店食品売り場等に並ぶ「食品放射線検査結果」——。

 ……それと意識する者たちにとっては、東京電力・福島第1原発事故以後、この9箇月間で、日常生活は、その細部に至るまで、すつかり一変した。
 だが、最大の変化は、生涯の時間に滑り込んできた、この新たな「永遠」の概念かもしれない。 
 重大な歴史的経験を、いかなる年齢において迎えるか——。

 おのおのが、どんな年齢・年代において遭遇したか? 
 その1点から、逆に個個の生涯の外的枠組みが決せられるような事態として——いま、忌忌しくも東京電力・福島第1原発事故は、ある。

 よもや、「永遠」と、こんな形で出会うこととなろうとは……。






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by uzumi-chan | 2011-12-24 06:36 | 東京電力・福島第1原発事故

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