豊饒な「永遠」の感覚に満ちた5日間——在独韓国人美術家・鄭榮昌さんのこと〔中 篇〕 美術全般(第2信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


豊饒な「永遠」の感覚に満ちた5日間——在独韓国人美術家・鄭榮昌(チォン・ヨンチャン)さんのこと〔中 篇〕






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 ケルンのコロンバ教会附属美術館・地下に佇む鄭榮昌さん。建物はその構造物として、第2次大戦の同教会の遺構をそっくり保存し、内包している。〔写真・筆者/2010年12月〕


 ちなみに、前項《5年ぶりの再会、1年を経て実現した懸案》で述べたような事情で、本来、鄭榮昌(チォン・ヨンチャン)さんは2005年12月の京都市立美術館別館での『光州(クァンヂュ)事件から25年——光州の記憶から東アジアの平和へ』出典作家のなかで1人だけ、光州民衆美術運動に関わるグループ「視覚媒体研究所」に直接、所属してはいなかった。
 その鄭さんとも、あの折り、京都で出会うことができたのは、狭義の画家としてのそれに優るとも劣らず、「歴史」を組織し得るオルガナイザーとして稀有の資質を具(そな)えた洪成潭(ホン・ソンダム)さんの存在があってのことだ。

 鄭榮昌さんは、私が訪独する直前に受け取ったメイルに、こう綴っている。


 《長い歳月が流れたあと、京都の展示に参加することを勧めてくれたのは、洪成潭先輩でした。観点が同じでも異なる環境で生まれた作品同士が出会うことに、意味があるのだ、と——》


 だとすれば、私もまた、こうした経緯によって鄭榮昌さんの知遇を得られたのだという意味でも、改めて洪成潭さんには感謝しなければならないのだが——。

 鄭榮昌さん自身はソウルで過ごした大学時代にも、夏季休暇には、光州の朝鮮大学校(チォソンテハッキョ)美術大学校に在籍していた洪成潭さんと親しく往き来していた。
 仄聞(そくぶん)するだけでも画学生の青春そのもののその交流は、後35年ほどを閲(けみ)した現在も続いている。

 これまで、全情浩 전정호(チャンヂォンホ)さんと李相浩 이상호(イ・サンホ)さん、そして今回の鄭榮昌さんと……光州民衆美術の画家たちについて、私は個別に、文章を書いてきている。
 その彼らのまさしく선배(ソンベ)——「先輩」である洪成潭さんに関しても、個別の展覧会評その他は草してきたが、後述する著作を上梓する際には、よりまとまった文章を用意する必要があるだろう。

  全情浩さんと李相浩さんに関しては、とりあえず当ブログ・前項〔美術全般〕第1信《5年ぶりの再会、1年を経て実現した懸案——在独韓国人美術家・鄭榮昌(チォン・ヨンチャン)さんのこと〔前 篇〕》を参照。
 また、私のウェブサイト『魂の連邦共和国へむけて』indexページのいくつかの「新作」案内も参照。



 そして——その2005年12月の京都での時間が、わずか5日間に過ぎなかったにもかかわらず、いまなお、いささかも薄らぐことのない、豊饒な「永遠」の感覚に満ちているのとまったく同様に……このたびの2010年も同じ12月前半の、ちょうど5日間——豪雪に降りこめられたドイツ北西部・デュッセルドルフで、つたない韓国語と片言のドイツ語、そして鄭さんにとって負担の大きい英語とをとりまぜて会話しながら、ともに過ごした百数十時間の——やはり、なんと濃密な、生涯忘れ得ない内実を包含していたことか……。


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 デュッセルドルフ美術アカデミー構内。〔写真・筆者/2010年12月〕


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 デュッセルドルフ市内。〔写真・筆者/2010年12月〕


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 鄭榮昌さんの伴侶・金京姫 김경희(キム・キョンヒ)さん(右)と、愛娘・鄭智雅 정지아(チォン・ヂア)さん(中)。左は同行のオーロラ自由アトリエ・遠藤京子さん。〔写真・筆者/2010年12月〕

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 鄭榮昌さんの愛息・鄭多運 정다운(チォン・タウン)さん。〔写真・筆者/2010年12月〕


 余談だが、この5日間のあいだ、寒波と豪雪による欠航を鄭榮昌さんが、終始、心配しつづけてくれた空路はなんとか影響を免れ、デュッセルドルフ国際空港から、ロンドン・ヒースロー空港へと戻るルフトハンザ便に、私と同行のオーロラ自由アトリエ・遠藤京子さんは搭乗することができた。
 それから、ヒースロー・エクスプレスとチューブ(地下鉄)、豪雪に遅延気味のダブルデッカー(2階建て)バスを乗り継ぎ、ようやくロンドン北郊のフラットにたどり着いて……その後、わずか5日ほどのあいだに、現在までのところ最後のそれとなる英国生活を撤収する作業に追われつづけた後——またしても私たちは帰国のJAL便に乗るため、ヒースローに戻ったのだった。

 いよいよ強まる寒波と雪嵐に、今度こそはほんとうに飛行機が飛ばないのではないかという不安のなか(——事実、この時期、日本を発って英国に向かった日航機は、目的地の手前まで来て、ヒースローが着陸不能だったため、成田に引き返したという)、大混乱のこのヨーロッパ最大のハブ空港を、少なからぬ超過料金を払うほどの大荷物とともに、滞英生活のあいだ、使うようにと、親切な横浜の楽器商が無償貸与してくれていたチェロ**を収めたケースは背中に背負って……やっとの思いで英国の地を離れるまでのあいだ——2005年冬の京都のそれとはやや事情を事にしたものの、私はやはり少なからず体調を崩し、今度は原因不明の血痰が続いて、ホメオパシーの自己診断によるレメディの服用を繰り返す仕儀となった。

 ** このチェロについては、当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第155信《鱗雲刷(は)く秋空の下、原子野に酸素は薄く〔中篇〕》を参照。


 あれから1年——。

 他の少なからぬ人びとにとってと同様、私においても——これほどまでに世界が一変してしまった1年は、生涯において、ない。
                                    〔この項、続く〕






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by uzumi-chan | 2011-12-11 14:36 | 美術全般

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