偽りの怒りの醜さについて 〔反TPP〕第11信


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


偽りの怒りの醜さについて






 東京電力・福島第1原発事故をめぐる、ありとあらゆる次元にわたっての欺瞞と同様、これもまた、極めて日本的な異様さと言うしかないのだが——TPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement=環太平洋戦略的経済連携協定) をめぐっても、はなはだ奇妙な事態が続いている。
 内閣総理大臣・野田佳彦の、誰が見ても明明白白たる「交渉参加」表明の後——アメリカでの発言の「二枚舌」問題の真偽や、それへの追及も含めて、まるで“憑(つ)き物が落ちたかのように”自体が鎮静化(??)し、たしかに参加について反対の意思表示をしていたはずの勢力の声がほとんど聞こえなくなってしまっていることだ。

 その最たるものが、直前まで、あたかも“「 TPP」参加反対の急先鋒”であるかのごとく自他共に認めていたはずの山田正彦・前農林水産大臣の豹変ぶりであったろう。
 普通に聞けば、最悪の事態にほかならない野田首相の「交渉参加」表明に、「良かった」「ほっとした」と安堵して見せる思考回路は尋常なものではない。

 これを一体、どう解釈すべきか? 

 内閣総理大臣・野田の表明している、その内容は、大変なことではないか。
 そうである以上、ただちに、いかなる手段を用いても——自ら、人間としての全存在を賭してそれに異を唱え、闘うべきではないのか? 

 ところが、国会では誰も、この事態の展開に怒りを持ってなどいるように見えない。
 敗北感も、焦燥感すら感じられない。

 そう思っていたら——幸い、これに関しては、次のような解説が出ていた。

 
TPP攻防戦「出来レース」のカラクリ
 2011年11月17日 フォーサイト

 (前略)
 拳を下ろして条件闘争
 TPP参加問題をめぐる国内調整が決着した11日夜、慎重派のリーダー・山田正彦前農相の会見は、多くの人が奇異に感じたことだろう。
「交渉参加に向けて関係国との協議に入る」という表現は回りくどいが、常識的に解釈すれば「参加」だ。ところが山田氏は「ほっとした。首相は踏みとどまってくれた」と勝利宣言したのだ。
 実は山田氏の会見前に開かれた慎重派の会合では「これでは参加表明だ」という怒りの声が上がった。全国農業協同組合中央会(全中)の萬歳章会長も「怒りを込めて断固として抗議する」という声明を出している。
 にもかかわらずの「勝利宣言」。山田氏の発言は分かりにくいが、慎重派の代表的議員は「首相が前のめりで、大手マスコミも賛成の論陣を張る中、交渉参加をやめさせるのが難しいことは、ほとんどの議員が分かっていた。譲歩のサインが出れば、いったん拳を下ろし、次の条件闘争に入るのは暗黙の了解だった」と心中を語る。
 野田首相自身も、その情報は得ていた。首相側近は野田政権誕生直後から「普天間問題と比べれば、TPPのことは何も心配していない」と公言し続けている。
 野田首相は記者会見を1日延ばし、交渉を「事前協議」とも受け止められる表現に微修正した。あうんの呼吸で送った野田首相のサインが休戦協定となった。(後略)
  (筆者/ジャーナリスト・野々山英一)》

  http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20111117-01-1501.html



 いかにも、そんなところなのだろう。
 つい数時間前まで、眦(まなじり)を決して「反対」を表明していた人物が、まさしく“人が変わった”かのごとく態度を一転させても、日本で——とりわけそれが政治家である場合、いちいち驚いている方が間違いなのかもしれない。たとえ、事が社会の根幹、国家システムの根底に関わる問題であったとしても。

 つまり、あれらは——たとえば山田正彦・前農林水産大臣の怒りは、偽りの怒りだったわけだ。

 その選び取られた結論——選択の内実が誤っているということは、もとより重大である。
 また一般に、「変節」や「転向」が好ましいはずもない。

 だが、何よりおぞましいのは—— 最も救い難いのは、そのために「怒り」が演技されているということだ。

 そして実は、前農林水産大臣・山田某に限らず、また政治家ばかりでもなく、労働運動・市民運動、その他、もろもろの場に、この演技された「怒り」、偽りの「怒り」は、たいてい、掃いて棄てるほど犇(ひし)めいている。
 (たぶん——とりわけ、この日本という国にあっては)

 本来、絶対にそうであってはならない場、その対極に位置すべき場にすら——「平和」や「人権」を標榜する、そうした手合い自身が、反「平和」的で非「人権」的な保身と打算に満ち、事大主義に染まり上がり、偽りの「怒り」を演技しているという例は、枚挙にいとまがない。
 “ほんとうに怒っている”ことを売り物にしている手合い自体が、それを売り物にしはじめた瞬間から、すでにその「怒り」は演技となり、偽りの「怒り」となる。

 偽りの「怒り」は醜い。
 おそらく、 偽りの「悲しみ」よりも——もしかしたら、他のどんな偽りの感情よりも。

 (なぜなら、それは最も偽られてはならない感情だから)

 「怒り」を偽ることは醜い。
 偽りの「怒り」は醜い。






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by uzumi-chan | 2011-12-01 04:47 | 反TPP

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