鱗雲刷く秋空の下、原子野に酸素は薄く〔中篇〕 東京電力・福島第1原発事故(第155信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――


鱗雲刷(は)く秋空の下、原子野に酸素は薄く〔中篇〕





 そもそもいま、私において一体、何が大変だというのか——。
 
 例によってその仔細は語るべきことではなく、また記そうとしてもなかなかに難しいものがあるのだが……ごくごく直近の仕事に関しては、すでに1年近くにわたって持ち越し、関係者にも待ち続けてもらっている、ある韓国人美術家に関しての雑誌エッセイを、今度こそまとめるという作業が——にもかかわらず、またまた思いがけない雑用で数日間、滞っているという事情がある。

 問題は、得難い同世代の畏友でもある彼に対しての不義理というばかりではない。
 東京電力・福島第1原発事故という現在の東アジア、ないしは世界の状況下、当該の作業をこれ以上、遅らせるわけにはいかない——この小文もまた、分量は短いにせよ、そうした次元に帰属すべき性質の作品である。

 それに並行して、すでに送付してある、とある新聞原稿をめぐって、若干、しておかなければならない対応が残っており、このことが、かつてなく奇妙に長引いてもいる(……これについては、場合によってはさらに別個の手続きも必要となってくることだろう)。

 ともかく雑誌原稿の方は、なんとしてもあと数日のうちに仕上げなければならない。
 私のこの種の文章の常として、すでにある草稿を練り上げつつ、全体の分量は3分の1ないし5分の1程度にまで削減する必要がある。

 その一方、来月に入ると、来春に上梓を予定しているある本のため、無慮1500枚ないし2000枚ほどの旧稿を検討し、全面的に手を入れなければならない、という作業が控えているのに加え、同じその11月の1箇月間に——現在の心積もりでは——書き下ろしの掌篇小説を5篇に、なんと絵画作品(といっても本格的なタブローではなく、ドゥローイングだが)を4点、準備するという無謀な計画がある。

 しかも……そのまえに、この10月のうちにもう少し、当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕カテゴリーでアップロードしておきたい草稿があって、そのうち、初夏以来、持ち越している「ある種の文学論」と、最近になって改めてこんなことも押さえておかねば……という「ある種のファシズム論」とを制作することは、これはこれで当ブログ全体の中でも、また11月分までを1つの区切りとも考えている、この〔東京電力・福島第1原発事故〕カテゴリー10月分としても、ほぼ「絶対」ともいうべき懸案であるのだ。

 ところが、これまた、にもかかわらず——なんとか是が非でも……という仕事が、果たして今月中に実現可能かどうか、そのあたりは早くも心もとない、というありさまなのである。

 むろん、すべて自分が心決めしたことであり、その意味では「自業自得」である。
 ただ、それらすべての基底に蟠(わだかま)る、私や何人かの友人たちも含めて、ちょうどこの早春の全的危機の発生直前から続いている鬱陶しい雑務への対応の必要は、ある意味、降って湧いた災難と言えなくもないものだ。

 それやこれやの皺寄せで、いまこれを綴っている現在と同様、やはり心身ともに呻吟していた一昨日、10月25日の午後、いつもの年と同様に……と言ってしまうには、やはりあまりにも所与の条件が異なりすぎる現況下、「自然」や「世界」に対しての観察力をより凝らす必要があるにちがいない——そんなしかたで出現した鰯雲に向け、大体いつも携行しているSONYのカード型デジタル・カメラ Cyber-shot(当ブログ〔絵本『さだ子と千羽づる』〕第16信《『鳥の歌』から始まる物語 2011年8月3日〈5〉》、参照)のレリーズ釦(ボタン)を押しつづけたのは、一昨昨年あたりから時折り、足を運んでいる、チェロの個人レッスンの往復のことである。


  大抵のひとは
  雲をながめるのが好きだろう。

  おれも好きだ
  昔っから好きだ。

       (黒田喜夫「雲」冒頭2連)


 ずいぶん以前の話だが、後述する戦後日本最高の詩人、もしくは戦後日本「最深」の詩人・黒田喜夫(くろだきお/1926—84年)の初期のこの詩篇の言葉の選び方の軽率さを、ある「批評家」が批判したことがあった。
 それは、その決して明晰とは言い難かった「批評家」の示した見解のなかでは、比較的、鋭敏なものの1つだったのだが——しかし、にもかかわらず、「雲をながめるのが」昔から「好きな」私としては、しばしばこの詩行を思い出すことがある。
 
 一昨年の晩夏から居を持ち、昨年の暮れまで、切れ切れに往復したロンドンで、来る日も来る日も、来る日も来る日も天空を見上げ、やはり Cyber-shot で写真を撮りつづけた——その際も、上掲の黒田作品が想起されたという事情は同様である。


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 英国で1日でも過ごした方は御存知だろうが、彼地の空——雲は、それ自体が、地表に人間の造営したいっさいの建造物を上回る景観だった。

 (この「ロンドンの空」については、昨春、書き上げたエッセイがあり、いずれなんらかの形で発表したいと考えている)


 そしてまた本年 5月14日の夕刻、第二京浜——国道1号線を車で西進していて、多摩川を渡るとき、右手、上流方向の空に拡がる黄金色の燦然たる夕映えに陶然としたさなかにも、それは変わらない。

 〈まるで、世界の終わりのようだ……〉

 ——そう私が思った、このときは、私が現在、愛用しているメインのチェロを購入した楽器商のもとへ赴く途次だった。

 奇妙な膠着状況のなかで、私が(むろん私だけではあるまい)そもそもの当初から当ブログでも言いつづけてきたとおり——この東京電力・福島第1原発事故がただならぬものであることを、ようやく「御用メディア」全般もおぼろげに認めざるを得なくなり、次第にテレビから、当初のごとき、目に余る低劣な「御用学者」どものの出演がさすがに減り始めた時期であったと言っても良いだろう。
 (最近また再び、今度は直接、原発——「原子力工学」に関わるというよりは、むしろ新たな「放射線防護学」といった分野で、新たな「御用学者」ともいうべき手合いが幅を利かせ始めているが——)
 
 くだんのロンドン生活のあいだ、現地での「音楽生活」に困らないようにと、 鷹揚(おうよう)にも無償で貸与してくれていた “飛行機の貨物室での長距離の運搬にも、さほど神経を磨り減らす必要のない、手頃なチェロ”を返却しつつ、やはりメイン器を購入した際、併せて求めたメイン・ボウの張り替えを依頼するため、チェロ1台と弓ケースとをワゴン車後部の荷物室に積んで、私は横浜へ向かっていたのである。

 (羨むべき音楽一家でもある、その雅量に満ちた楽器商は、私の腕には過ぎた——というより、むしろ伎倆未熟な者にとってこそ、真の「名弓」がいかに上達を助けてくれるかの証左そのものであるようなそのメイン・ボウに関しても、購入から10回分の毛替えを無料で請け合う旨、先方から申し出てくれていた)

 ……そして、どちらが先というべきか、ともあれメイン・チェロとメイン・ボウとを手に入れたことを1つの重大なきっかけとして、50代半ばとなったいま——“心を入れ替えて”、それまでほとんど我流(……!!!!)で弾いてきたJ・S・バッハ『無伴奏チェロ組曲』を、基礎からきちんと見てほしいと私が懇願したのは、一昨昨年、思いがけず出会ったチェリストのM師匠である。

 ポール・トルトゥリエ Paul Tortelier (1914年—90年)の「孫弟子」に当たるM師は、私よりほんの少し、年少の人物だ。
 その音楽性の高い楽曲解釈、1音・1弓をも忽(ゆるが)せにしない、まさしく擦弦(さつげん)楽器の奥義に通ずる教授法には、私のごときアマチュアでも、毎回、必ず何点か、刺戟(しげき)を受け、啓発されるところがある。
 (一昨年の晩夏から昨年末まで、20回近くにわたって断続的にロンドンと東京とのあいだを往復していたあいだも、帰国中は慌ただしいスケジュールの合間を縫って、M師のレッスンを入れていたものだった)

 使用する譜面は、当然、トルトゥリエ校訂版をベースとしたもの。
 かつてこれほど運弓・ポジショニング・フィンガリングのいずれもが複雑至難を極めるバッハ『無伴奏チェロ組曲』を見たことがない。

 〈なぜ、わざわざ、かくも難しくして弾かねばならないのか……〉

 他のチェリストの校訂版なら、第1ポジションと第4ポジションとで、極力、簡明に乗り切るようなパッセージ(経過句)にも、ほとんど校訂者の「悪意」をすら感ずるほど、これでもかとばかり、1音単位で第2ポジション・第3ポジションが頻出し、同時に大がかりな移弦を伴う、思わず絶句するほど難易度の高い—— 融通無碍(ゆうずうむげ)の奏法が指示される。

 だが、それによってもたらされる音色、楽曲の表情が、弾き込めば弾き込むほど、情感豊かな陰翳に富み、極めて主情的なものとなる、その瞠目(どうもく)すべき演奏効果はどうだろう!  
 近年の「古楽」ブーム、バロック「復古」ブームの対極に位置する、近代主義そのものの奏法と言えるのだろう。

 そういえば——ロンドンに居を置いていた期間にも私は、インターネットで探した現地のチェロ教師の自宅へ、数回、通ったことがあった。
 むろん、くだんの横浜の楽器商が貸与してくれたチェロを担いで、赤いダブルデッカー(2階建て)バスに乗って、である。


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 この写真以降の3点は、私自身が乗っているダブルデッカー・バス2階最前列の席から撮影したもの。
 手前の灰緑色の横棒は、緩衝バーである。



 ベルリン出身のその若いチェリストは、M師の対極ともいうべき「古楽」志向そのものの人で、エンドピンも付けないチェロを両の脹脛(ふくらはぎ)のあいだに挟み、楽しげにバロック奏法をして見せてくれた。
 東洋人の弱点は西洋音楽特有の「裏打ち」のリズムの体得だと力説する彼女(——その点については、M師も同じ見解だった)の、旋律の摑(つか)み方やデュナーミク(強弱法)には、なるほど、ドイツ語を母語とし、ソーセージを常食し、乗馬がごく日常的なスポーツとしてある国に生まれ育った人ならではのものがあったことも事実である。

 何より——声楽家でもあるという彼女が、これまた愉しげにバッハ『無伴奏チェロ組曲』を、いちいち立ち上がり、「歌いながら」教授する姿には、清新な印象を覚えもした……。

 (いま一度、あのダブルデッカー・バス2階最前列の堅いシートに身を埋め、チェロ・ケースを撫でながら、窓外に展開する超国籍的な風景を眺めつづけたいとの思いは、私のなかに1つの渇仰のようにあるのだが——)

 3月11日——東京電力・福島第1原発事故を経たいま、もはや、すべては及び難い。


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 ある意味、ヴェルナー Werner 教則本の中盤以降の代わりにバッハを練習曲としてレッスンをしてほしいというに等しい……通常でいうなら、少なくとも日本のチェロ教授法の「常識」を逸脱した私の依頼に対し、M師は、1篇の舞曲を徹底的に弾き込むことを通じ、「チェロ音楽」の奥義に到るという方法を採ってくれていて、「先に進む」「レパートリーを増やす」ことは双方とも視野にいれていない結果、このかん1番のAllemandeを1年近くも取り上げている、というレッスンなのだが——私自身、毎回、3〜4点は出会う新たな発見に、まったく倦(う)むことがない。

 通常なら、誰が弾いてもあっさり終わるかに見える小曲が、これほどまでに音楽的物語性の叙情に満ちていること——バッハのなかに、通常、容易に感得される20世紀音楽の前衛性ばかりではなく、実はロマン主義も後期ロマン主義も、西欧19世紀音楽の多くの要素が包摂されていることが、この小品を弾くにつれ、次第に明らかになってくる。

 現状、バッハ『無伴奏チェロ組曲』1番 Allemande 全体のなかで、私にとって最も難易度の高い箇所は、前段が始まってほどなく——第5小節の後半から第6小節の前半にかけての15音だ。
 カザルス校訂版でも第1ポジション主体にあっさりと流されるこの箇所——そうするつもりなら、最後の嬰レ(これだけはなんらかのポジション移動をせざるを得ない)1音を除き、すべて第1ポジションだけで弾くことができるし、むしろそれが「自然」だろう——が、私に与えられた譜面では5回のポジション移動とそれを跨(また)ぐスラーに満ちているのである。
 だが、それを再現するM師の模範演奏を聴くと、数秒、さながらメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』第1楽章を髣髴(ほうふつ)とさせるような典雅な叙情が匂い立つばかりに溢れ出して、私はいつも茫然とするのだ。

 ちなみに、この印象は、トルトゥリエ自身の録音にすらない。
 (また私自身、この困難なフィンガリングを行なうと、他の容易なフィンガリングのいずれとも異なる、同じチェロという楽器が発する音とは思えないほどの音色の隔たりを感ずる。一方が草色なら、こちらは瑪瑙色とでも形容したいほどの——)

 ……だとするなら、私は、マスタークラス並みの大変な「レッスン」を受けているはずであるわけで、1回30分ほどのその時間は、いまの私にとって、以前のそれとは次元を異にした、格別の意味を持ってくるということになる。

 この、いま——。

 19世紀末葉にヨーロッパ中部で作られ、20世紀前葉にリヴァプールで補修を受け、そしていま奇(く)しくも私の所有になる、その愛器のメイン・チェロすら、また……手許の線量計で毎時0.15μSv前後の空間放射線に被曝している、この日本国の首都南部に、重層的な「宿命」に繋(つな)ぎ止められ、身を置きつづけなければならない者としては。


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                                    〔この項、続く〕






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by uzumi-chan | 2011-10-28 06:31 | 東京電力・福島第1原発事故

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