ブライアンから返事が来た The Beatles〔第1信〕
2011年 10月 03日
すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために――
ブライアンから返事が来た
当ブログの本来の趣旨からは、これはあまりにも突飛な……まったくの「別件」と思われるかもしれない。
しかし、私の考えでは、これもまた東京電力・福島第1原発事故に通ずる問題なのだ。
ブライアンから、返事が来た。
誰かって?
ブライアン・レイ Brian Ray——ポール・マッカートニー・バンドの凄腕ギタリストである。
そもそものきっかけは、昨年2010年6月11日——アイルランドの玄関口、ダブリン空港でのことだった。
ロンドンでの生活を続けていた私とオーロラ自由アトリエ代表の遠藤京子さんが、2008年のリヴァプールに引き続き、「今度こそ、引退という説もあるから……」と、慌てて購入したポール・マッカートニーのダブリン・コンサートのチケットを携え、ヒースローからダブリンへと慌ただしい渡航をした、まさにその日の出来事である。
ダブリン空港のラゲージ・クレームで、スーツケースの出てくるべき黒ベルトを所在なく眺めていると、ふと視野に入ってきたのは、10メートルほど向こうで談笑しながら、やはり荷物を待っている一団だった。
それが、どう見ても「素人」とは思えない。
……全身から、“危険で美しいロックミュージシャン・オーラ”を放ちまくっている、2人の白人男性——1人はプラチナ・ブロンドで、1人は黒髪(ブリュネット)の、いずれも長身痩軀の人物である。
漠然と、あれっ、ローリング・ストーンズの誰かだっけ……と思っていたら(よく考えると、歳が違いすぎる——)、すぐその背後にいる黒人の巨漢男性が目に入り、 瞬間、 私たちは息を呑んで顔を見合わせた。
黒人男性は、まぎれもない——エイブ・ラボリエル・ジュニア Abraham Laboriel Jr. 。
ここ10年以上、ポール・マッカートニーとツアーに帯同し、その踊るがごとき躍動的なドラミング(実際、自分がドラムを叩かない時間帯は、彼はドラム・セットを前に泳ぐように踊っている)と、時として見事なバリトンでポールに唱和する、稀代のドラマーである。
してみると……うわっ、最初に目に入った2人、黒髪の方はラスティ・アンダーソン Rusty Andersonで、プラチナ・ブロンドはブライアン・レイではないか!
気がつくと、その背後には——さらに長身のキーボード奏者、ポール・ウィックス・ウィッケンズ Paul 'Wix' Wickensまでいる!
気がつけば、東洋人を含めたスタッフも何人か、彼らに付き添っている。
これでポール・マッカートニーがいないことが不自然なくらいだった。
しかも周囲の誰も、彼らに対して特段の注意を払ってはいない。
それにしても、さっき私たちが乗ってきたのと同じ、狭苦しいUK国内コミューター機に、彼らもまた、コンサート機材とともに乗っていたとは……。
ポール・マッカートニーに対してと同様、そのバンド・メンバーの熱烈なファンである遠藤京子さんは、頬を上気させ、どうしよう、どうしよう……という面持ち。ふだんの強さが、こういうときにはまったく発揮されない。
いや、せっかくコンサートの前日、こんな風にして出会えたのに挨拶しない手はないから行ってくる……と、私はつかつかと エイブ・ラボリエル・ジュニアに歩み寄って、
「こんにちは。あの……ポールのバンドの方ですよね?」
われながら、もう少しましな言い方ができないかとは思ったのだが、このときは彼らの名前がきちんとインプットされていなかったので、しかたない。
しかしながら、こんな、本来なら失礼極まりない問いかけにも、相手は怪訝な表情ひとつ見せず、
「うん。そうだよ」
満面に笑みをたたえて頷く。プロである。
「私たち、明日のコンサートに行くんですよね。一昨年も、リヴァプールで聴きましたよ」
「そうなんだ。サンキュー!」
「あ、あの——あそこにいる彼女、皆さんの大ファンなんですけど。一緒に写真、撮らせていただけませんか」
「もちろんさ。おい、みんな、来いよ」
言って、エイブは傍らの3人を呼び寄せる。
「早く!」私が手招きすると、遠藤さんもよろけるように小走りに歩み寄ってきた。
急な依頼にも関わらず、遠藤さんを囲んで、4人とも満面の笑み。プロである。
シャッターを切ってから、私もついつい誘惑に抗し難く、
「あの、すみません。ついでに私も——」
遠藤さんにカメラを託し、今度は私が彼らの列に加わる。
やはり表情はまったく変わらず、満面の笑み。 プロ中のプロである。
「ありがとう。明日は愉しみにしてますよ。ミスター・ポール・マッカートニーにもよろしく」
「うん、分かった。伝えとくね。じゃあ、明日!」
言って、エイブ・ラボリエル・ジュニアはにこやかに手を振り、他のメンバーとともに去った。
後から気がつくと、現代世界最高の演奏力を誇るロック・ミュージシャン4人に囲まれ、写真に写った私は、英国の「西友」ともいうべき、スーパー「セインズ・ベリー」のオレンヂ色のビニール袋を提げたままだった。間抜けである。
今回、遠藤京子さんがふと思いついたらしく、ブライアンにその写真を送ったところ、すぐに本人から「うん、覚えてるよ」との返事が来た。
ところが、その写真の説明で、なぜか撮影場所をリヴァプール空港としていたのを、私がダブリン空港だよと訂正したら、それにも「訂正、ありがとう。僕の音楽サイトも見てね」と、丁寧な返事が来たものである。
この開放性、個人があくまで自らの主体性で存在し得る精神風土とは何なのか。
〔この項、内容的には、次項に続く〕
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by uzumi-chan
| 2011-10-03 23:09
| The Beatles