山口泉「『死の功利性』にまどろまぬために」全文〔2/5〕 ——追悼・李小仙オモニム 韓 国(第8信)


なぜ私は、あの国と、そこに連なる人びとについて、
倦むことなく書きつづけるのか? 
むろん、彼らが素晴らしいから。
しかし、それだけではない。
——私が書いているのは、彼地と彼らのことだけではなく、
実は、「この国」のことなのだ。
いまだ、真の「連帯」と「友愛」というものの根づいたことのない、
この日本という荒寥たる国の……


山口泉「『死の功利性』にまどろまぬために」全文〔2/5〕 ——追悼・李小仙(イ・ソスン)オモニ





 「全泰壹」自身を正面から描こうとしているモノクロームの部分には、彼が初めて「勤労基準法」と出会う感動的な場面があり、そしてラストの——彼の焼身抗議の報を聞いて、幼い女工たちが泣きながら次つぎに寮の部屋を飛び出してゆく齣(こま)落としの描写がある。
 とりわけ、時間にしてわずか数秒間のこのラスト・シーンは、これだけで全泰壹の生涯とその最期を——さらにいうなら彼の未来をも集約的に表徴しており、他の説明的な描写をいっさい不要にする、まことに胸に迫る見事なものである。

 (後出『韓国労働者の叫び』によれば、当時、平和市場にいた補助工の少女たちの年齢は12〜15歳で、窓1つない作業場で1日15時間の労働が強いられていたという)

 朴正煕(パク・チャンヒ)の肖像写真が登場するいくつかの場面で、終始、その顎から上が決して写されない演出には、なんらか、作り手の意志が示されているようだ。
 そして何より「全泰壹を演じる」という困難を、おそらく望みうる最高の水準で達成した主演のホン・ギョンインの存在感は注目されなくてはならないだろう(そういえば、やはりホン・ギョンインが主演し、この俳優の存在を一躍、国際的に知らしめた92年の朴鐘元(パク・ジョンウォン)監督『我らの歪んだ英雄』に較べれば、今回の『美しい青年——全泰壹』の方は、脚本上の粗さそれ自体はあまり目立たない)。

 それらの点は認めた上で、しかしなおこの映画が明澄な感銘に到らないのはなぜか? 

 私はそれは、前述した方法的な欠点よりはるかに遠く深い部分——おそらくは「映画」そのものを超え、「全泰壹」という歴史的存在をめぐる私たちの意識そのものに刻印された、一種「死の功利主義」ともいうべき論理に対し、映画の作り手の意識が自らにおけるその「死の功利主義」に対しての主体的な自己検証を怠っているからではないかと思う。

 「全泰壹」を語るとき——まして映画などという、これ以上ないほど即物的な表現手段でそれを「劇化」しようとするとき、その表現者自身において当然、自らが行なわれなければならないその作業が等閑に付されているか、たとえ行なわれてはいたにしろ、少なくとも極めて不十分なせいではないかと思う。


 病院に運び込まれた全泰壱は母と(ママ)火にやきただれた手を組ませるように頼みながら「(略)ぼくの志が貫徹されるまで、ぼくの仲間たちと平和市場のぼくの幼い仲間たちが楽しい生活をかちとるまで斗って下さい。ぼくを思い出して労働者のオモニになって下さい。これがぼくの最後の望みです。ぼくの死をむだにしないで下さい、むだに……」と言い残して息をひきとった。
   (韓国民主回復統一促進国民会議日本本部宣伝局編『韓国労働者の叫び——全泰壱=ママ=氏の生涯とオモニたちの闘いの記録』民族時報社・1977年刊/なおこの部分は、李小仙女史後援会発行『労働運動の烽火』を訳出したものとの註記あり。省略部分以外は、すべて原文のまま)


 だが、それにしても「死を無駄にしない」とは、どのような作業であるのだろう? 

 これは全泰壹自身だから、そして彼としてもおそらくこの瞬間のみ、言い得たことだ。
 他に、代えうる言葉がなかった、そんな思いとして。

 それを、少なくとも他者が「全泰壹の死を無駄にしない」と口走ることだけは、絶対に許されない。この言葉が「全身が炭のかたまりのように黒くやけ、皮膚という皮膚はすっかりやけただれ、顔は判別できないほどほう帯で巻かれた姿で、母の手をにぎりしめて」(前掲資料)発されたものであったことを忘れてはならない。

                                    〔この項、続く〕







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by uzumi-chan | 2011-09-22 00:44 | 韓 国

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