李小仙オモニム、逝去 韓 国(第1信)


なぜ私は、あの国と、そこに連なる人びとについて、
倦むことなく書きつづけるのか? 
むろん、彼らが素晴らしいから。
しかし、それだけではない。
——私が書いているのは、彼地と彼らのことだけではなく、
実は、「この国」のことなのだ。
いまだ、真の「連帯」と「友愛」というものの根づいたことのない、
この日本という荒寥たる国の……


李小仙(イ・ソスン)オモニ、逝去





 当ブログ『精神の戒厳令下に』で、宿願の〔韓国〕カテゴリーをアップロードする——その最初が、よもや、こうした内容になろうとは……。

 李小仙 이소선(イ・ソスン)オモニが逝去された。

 むろん、私がこの人物に「オモニ」어머님(御母上)との敬称を付して呼ぶことは、本来、何重もの意味で僭越である。
 だが、にもかかわらず、そうしたいという、それよりほかに呼称が思い浮かばぬという感慨がある一方——言葉の本質的な意味で「民衆の母」として貫かれた存立のしかたは——日本人である私からすら——この場合、その呼称が、おそらくは許されるのではないかとの思いが、私のなかに個人的にはあることもまた、否定し難い事実なのだ。

 9月3日、ソウル大学病院でのことであったという。享年81歳。
 7月18日、ソウル市内の御自宅で心臓発作で倒れ、48日間、意識不明の状態が続いた後であったという。
 9月7日、ソウル市内で「民主社会葬」が執(と)り行なわれたという。

  以上の情報は、『民族時報』第1210号による。


 李小仙とは、誰か? 

 それを説明しなければならないところからしか、この国ではすべてが始まらないであろう、その事実を踏まえて、私は記す。
 李小仙 어머님 は、全泰壹 전태일(チォン・テイル)烈士 열사(ヨルサ)の母である。

 では、全泰壹とは誰か? 

 それらすべての説明に代えて、とりあえず私は、拙著『宮澤賢治伝説——ガス室のなかの「希望」へ』(2004年/河出書房新社刊)から、第Ⅲ部「生の一回性について」第2章「歴史の著作権は誰のものか?」(原著/p.399〜p.401)、および 第3章「『死の功利性』にまどろまないこと」(原著/p.402〜p.411)の全文を、本日夕刻以降、それぞれ5本、都合10本に分割して、順次、アップロードする。

 (この二人の人物に関し、自分の綴り得る文章として、私はその2篇にすべてを盛り込んだつもりであるから——)


 令息を亡くされてから41年におよぶ御母堂の、その時間の長さを、いま私は思ってみるばかりである。



 なお、「歴史の著作権は誰のものか?」の初出は、月刊『世界』1998年12月号(岩波書店)、「『死の功利性』にまどろまないこと」のそれは、同誌・1997年6月号である。

 赤字とした部分は、原文では傍点。
 また、数字の表記は、原則的に漢数字を算用数字に変更した。
 さらに、コンピュータ画面上での読みやすさを考え、原文よりも改行や1行空きを多く設定しておく。

 付言すると、今回、アップロードするテキストは、時間の関係もあり、『宮澤賢治伝説——ガス室のなかの「希望」へ』刊行前の、著者校正を経ていない未定稿であるため、公刊テキストとは少なからぬ異同がある(ただし、基本的な文意にはなんら違いはない)。

 より厳密な意味での定稿に関しては、直接、『宮澤賢治伝説——ガス室のなかの「希望」へ』に就かれたいという事情は、当ブログ〔「日本文学」〕カテゴリーの第1信から第5信まで、同書から「『銀河鉄道の夜』のうとましさ(ノートC)」の全文をアップロードした際と同様である。

 また、アップロードそのものを優先するところから、人名その他のハングル併記は、後ほど、順次、行なってゆくこととする。






当ブログのすべての内容の著作権は、山口泉に帰属します。
当ブログの記事を引用・転載されるのは御自由ですが、出典が当ブログであることを明記してください。
当ブログの記事を引用・転載された場合、ないしは当ブログへのリンクを貼られた場合、お差し支えなければ、その旨、山口泉まで御一報いただけますと幸いです。

山口泉ウェブサイト『魂の連邦共和国へむけて』は、こちらです。
  http://www.jca.apc.org/~izm/

by uzumi-chan | 2011-09-20 13:12 | 韓 国

作家・山口泉のブログです。


by uzumi-chan