高放射線下の東京から、初夏のロンドンを憶う 東京電力・福島第1原発事故(第97信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


高放射線下の東京から、初夏のロンドンを憶(おも)




 以下、本来は〔東京電力・福島第1原発事故〕第89信《言ったとおり、あれはやはり核爆発だったようだ》に続くべきものとして作成してあった草稿である。

 余談だが……。

 ——5月17日のバズビー教授インタヴューが、本人自身、室内で受けているのに対し、4月25日のそれの方は、屋外で語り続ける同教授の背後に、大観覧車 London Eye をはじめとして、ウォータールー周辺——テムズ東岸の風景が遠望されるのが、いまとなっては懐かしい。
 陽春のロンドン中心部の駘蕩たる気分が、放射性物質の降り注ぐ東京にまで、伝わってくるようだ。

 私の場合、一昨年晩夏に始まり、本来なら今年の秋口までは続くはずだった、主として英国に軸足を置いた生活が、昨年暮れ、諸般の事情から最終的に中断した後……3箇月ほどを経て、今般の東日本大震災と、それに続く東京電力・福島第1原発事故に、東京で遭遇したということになる。

 この巡り合わせについては、さまざまに思うところがある。
 3月11日以来、ずっと、親しい友人知己、編集者らにも語ってきているが、


  詩人は苦痛をも享楽する
      (宮澤賢治「農民藝術概論」結論)


 この顰(ひそ)みに倣(なら)うなら、

  作家は、核地獄に生き合わせることにも意義を見出す。

 ……そう、とりあえずは思うことで、私自身は今回の絶望的事態に対峙しようとし、また現在までのところ、事実、そうしてきつつはある。
 当然、この事態には、より苦しむ他者が多く厳存することに、終始、思いを馳せつつ。

 (いかにも、それはむろん「作家」ばかりではなく、多くの人びとの心性にも共通する——共通せざるを得ない——ものでもあるかもしれないのだが)

 いずれにせよ人は、かくも絶望的な事態のなかで「人間」の一員として存在し、生き得るという経験を、稀有のそれとして受け止める力を持ってもいる——。

 だがまた、ただちに付け加えておくなら、より年少の人びと——とりわけ幼い子どもたちが、1私企業の営利と政府の無能のため、かかる空前の核被害に曝されている現実は、上述の私的な「心構え」や「割り切り」の問題と、遠く次元を異にしている。
 むろん、それら子どもたちがこうした目に遭って良いはずはない。にもかかわらず、そうした状況にもなんらか肯定的な「意味」を賦与したりしようとできるのは、まさしく——私が当ブログで4月8日に、それへの批判の拙著の中心部分をアップロードした論攷にも示したとおり、宮澤賢治『銀河鉄道の夜』のごとき欺瞞においてのみであろう。

  世の愚かな宮澤賢治ファン・宮澤賢治崇拝者たちと違い、再三、記しているとおり、私はくだんの文学者の吐気を催すような本質的欺瞞に対する徹底的な批判者である。
 しかし同時に、その表現者としての力量を認めることにはなんら吝(やぶさ)かではなく、現在にいたるまで“専門研究者”すら言及することの極めて乏しい、たとえば最初期の十代半ばの短歌についてさえ、その疑いない個性・独創性は認めるものだ。
 その上で——私は、単に「近代日本文学」のみならず、人類の精神的営為における最悪の欺瞞・偽善の1極点として、この文学者を否定し続けるものにほかならない。



 思想家としての宮澤賢治の差別性・危険性は、ナチズムを誘引したルドルフ・シュタイナーのそれにも迫り得る可能性がある。
 ——ただしシュタイナーの方には、宮澤賢治のような藝術家としての天才、表現者としての力量は根本的に欠如しているが。**

 ** この問題に関しては、拙著『宮澤賢治伝説——ガス室のなかの「希望」へ』(2004年/河出書房新社)の「補遺」ともいうべき拙稿「『新しい中世』下の詩人の不幸——私が宮澤賢治について書き落とした、二、三のこと」(季刊「月光」第2号「発見! 宮沢賢治『海岸は実に悲惨です』」2010年/勉誠出版)を参照。


 なお私は、東京電力・福島第1原発事故という絶望的な核破滅事態に立ち会わされたという意味では、幼い子どもたちとは、むろん同じ次元の問題としてではなく、しかし別の意味で、おのおのの人生の終章を生きようとしていた高齢者たちの存在をも思う。

 むろん彼らは、多かれ少なかれ、幼い子どもたちのごとく無謬ではない。
 端的にいえば、東京電力・福島第1原発事故に関して、それぞれが一定の責任を負っているとも、言えば言えよう。

 しかしながら、にもかかわらず、自らの人生の最後に近い局面において、自らの死後もこれまでと同様、世界が存続する——とは、もはや到底、考えることのできないまま、おのれの人生を了(お)えなければならないとしたら、それはそれで人として紛れもなく決定的に不幸なことであるとも、また私は考えるのだ。
 (この問題については、いずれ機会を改めて詳述するつもりでいる)


 話を戻そう。

 昨年の晩春——というよりは、彼地では、もう初夏——新たに展示品に加わったいうジョージ・ハリソンの手稿を観に、キングズ・クロス&セント・パンクラスにほど近い、大英図書館のThe Beatlesコーナーへ赴いたことがあった。
 6月初め、日本も英国も最も美しい季節である。
 (いまとなっては、すべてが夢のようだ)

 ロンドンで知り合った、The Beatles の優れた研究家Kさんに誘われてのことだった。
 石森章太郎(石ノ森章太郎ではなく)の漫画に登場する少女か、『ピーターパン』のティンカー・ベル (Tinker Bell) のごとき、妖精めいた雰囲気を持ち、ポール・マッカートニーとギネス・ビールをこよなく愛好するKさんと、同図書館の外の石段で待ち合わせ、入館した宏大な館内では、くだんの20世紀音楽の最高峰のバンドに関わる展示品はもちろんのこと、レオナルドやベートーヴェンをはじめ、人類の文化史の錚錚(そうそう)たる担い手たちの遺稿にも、むろん少なからぬ興味を覚えはした。

 だが、実は私が最も強い印象を受けたのは、それらではなかった。
 私がその場に釘付けになったのは——どういう構成方針に基づいているのか、The Beatlesコーナーのすぐ傍らの硝子ケースに拡げられていた1冊の絵本である。

 レイモンド ブリッグズ(Raymond Briggs)作『WHEN THE WIND BLOWS 風が吹くとき』——。

 1982年に英国で刊行され、冷戦——米ソ対立の最終局面で、ヨーロッパがパーシングⅡとSS20という「東西」戦術核ミサイルの対峙し合う核の戦場とされるとの危機感のただなかで読まれ、日本でも翻訳出版されたこの絵本を、むろん80年代前半のうちに私は読んでいたし、またその日本の反核市民運動を中心とした広まり方についても如実に目撃してはいた。

 ただ当時、20代後半の私は、この素朴にして恐ろしい物語に登場する、隠退後の老夫婦の、放射線被害に対するあまりの無知——そして、紫斑が皮膚を埋め尽くそうと、鼻血が止まらなかろうと、依然として政府発表を疑うことなく、死への歩みを進めてゆく、その異様なまでの従順さに、一種憐愍(れんびん)と軽侮とを伴った憎悪、ないしは反撥とでもいうべきものを覚えていたものだった。
 「被爆国」***に帰属する一員として、かの第二次大戦戦勝国であり、かつサッチャー政権下、米国レーガン政権に追随して核大国への道を歩みつづける国の。

 だから昨春、思いがけずこの絵本を、大英図書館の照明の落とされた展示室の一隅に見出した際にも、なお私のなかに蘇ってきたのは、無慮四半世紀以上も前の、あの時代の西欧反核運動に対する一種微妙な鬱屈と、何より、やはり登場人物の老夫婦のキャラクターに表徴される、被爆体験を持たずに来た人びとの無知への、かすかなうとましさのごとき感覚だった。
 

 いまは違う。



 東京電力・福島第1原発4基のメルトダウンによって、すでに不可逆的な終末状況に陥っていながら、それを一応、情報としては承知の上で、なお、いまだに「日本は復興できる」だの、「日本の力は団結力」だの、「日本が1つのチーム」だのといった戯言をほざいている、人類史上最悪の政府や、株式会社東京電力がその最有力の「会員社」としての一翼を担って牛耳るAC(旧「公共広告機構」)の意のままに操作され、夏の電力不足をぼんやりと心配し、AKB48の「総選挙」に耳目を奪われ、通俗小説とテレビと映画とに、自らの生の代理行為をそっくり委任している大衆に支配された、この常軌を逸した社会で。

 いまは——違う。


 *** 何度も言うが、「唯一の」では、ない。





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by uzumi-chan | 2011-06-13 01:53 | 東京電力・福島第1原発事故

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