東京電力は、日本に住むすべての人びとと近隣諸国に補償せよ 東京電力・福島第1原発事故(第68信)
2011年 04月 27日
すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……
東京電力は、日本に住むすべての人びとと近隣諸国に補償せよ
福島第1原発事故は、一方で、相当な確率において「日本の終わり」を招来する可能性がいよいよ高まっている破滅的危機であると同時に、この日本という国のどうしようもなさを——もしかしたら、その最後のステージにおいて——次つぎと、重層的に明るみに引きずり出している壮絶な事件でもある。
権力者・支配層の、まったく人を人とも思わぬ、真に恐怖すべき冷酷さ。傲慢さ。
どこまで行っても、真に「責任」を取る主体だけは、最後まで絶対に存在しないまま、ただ権力のメカニズムだけは平然と、かつ冷厳に機能しつづける異様さ。
論理的に構成された批評はもとより、怒りも、憎悪すら持続させることなく、支配層に搦め捕られ、「数」として蕩尽されてゆく大衆の「あきらめ根性」(*)——。
支配層・被支配層を問わず瀰漫(びまん)する、自らより弱い者に対しての冷酷さ。
ひとたび「スローガンを与え」(埴谷雄高)られれば、やすやすとそれを唱和して、いっさいの異論を排除しつづけるファシズム。
冷静な批判精神の萌芽をすら、つねに完膚無きまでに摘み取り、たえずそれに取って代わる、最も低劣な情緒主義の“物語”の数かず。
幾度、欺かれ、利用されつづけても、決してそこから学ぶことなく、また進んで新たに欺かれ、利用されつづけることに悦楽すら感ずる、絶対的な受動性……。
* 敗戦直後、美学者・中井正一(1900—52年)が、「ぬけがけ根性」「見てくれ根性」とともに提唱した、日本人の心性の3大概念の1つ。
ちなみに、これを直接、私に教えた作家・山代巴(1912—2004年)に関しては、いずれ若干の論考をまとめるつもりでいる。
……思いつくまま書き留めていても、いくらでも出てきそうだが、そうした精神風土を放射能汚染水のように涵(ひた)すのが——明明白白たる「加害」と「被害」の関係を、絶えず曖昧に捨象しようとする志向であり(それは、時として「被害者」の側からの積極的な意思をすら伴っての……!!)、それどころか、前項——〔東京電力・福島第1原発事故〕第67信《被害者に「責任」を押しつけ、加害者を免罪する欺瞞》でも述べたとおり、場合によっては「加害者」と「被害者」との関係を顚倒すらさせかねない奇怪な圧力である。
すでにして東京電力の温存・赦免を最大目標として変質させられている福島第1原発事故の「補償」問題は、東日本大震災からの「復興」論議が「増税」から始まっているという象徴的な構造に相似的に併呑される形で、このうえなく欺瞞的な進行を見せつつある。
だが、ここで確認しておかねばならぬことがある。
「補償」が東京電力の弁済能力を超えるものであったら——?
いかにも、それは到底、株式会社・東京電力1社の存続を前提として支払い得るものではないだろう。
(だからこそ、株式会社・東京電力は消滅し、国家によって接収され、国有化されるのが、唯一の道なのだ)
なぜ、株式会社・東京電力の補償は最終的に莫大なものとなるか?
それは、株式会社・東京電力が「補償」すべきは、単に福島第1原発の地元の双葉町・大熊町、さらに避難地域となっている浪江町・飯舘村その他、周辺諸地域の住民と、その生活のみではないからである。
福島県全体の住民、関係産業、沿岸・沖合い漁業者ばかりでもない。
そもそも、今般の福島第1原発事故の「被害者」とは、誰のことか?
むろん、上述の地域の人びとがより手厚い補償を受ける権利を持つのは言うまでもない。
だがしかし、株式会社・東京電力が「補償」しなければならない相手は、彼らばかりではない。
より広汎な被害者すべて、すなわち、厳密に言うなら、どんなに少なく見積もっても、このかん——3月11日ないし翌12日以降、平常時より高濃度の放射線が観測された南東北・関東一円のすべての都県の住民は、原発周辺の住民ほどではないにせよ、明白な被曝者なのであり(放射線被曝に「閾値」はないのであるから)、たとえば東京都目黒区に居住する私自身も、今回の東京電力福島第1原発事故による、疑いもない被爆者なのだ。
(——これについては、すでに当ブログ〔東京電力・福島第1原発事故〕第6信《自らをも一人の「被曝者」として》にも記したとおりである)
株式会社・東京電力は、東京都目黒区に居住する私を含め、このかん平常時より高濃度の放射線が観測された南東北・関東一円のすべての都県の「全住民被曝者」に対し、その将来にわたって発生可能性のある健康被害と、このかんの精神的苦痛に対し、謝罪と補償をせよ。
また、日本に住むすべての人びとに対しても、南東北・関東一円の都県住民ほどではないかもしれないにせよ、被った同様の健康被害と精神的苦痛に対し、謝罪と補償せよ。
さらに、東北アジア地域を中心とした、近隣諸国に対しても、大気中に放散した、また言語道断の汚染水海洋放出によってもたらされた環境被害に対して、然るべき謝罪と補償をせよ。
最終的に、株式会社・東京電力は、未然に防止することが容易であり、またこのかん何度もその機会がありながら、最低限の注意と誠意をも示すことなく、むざむざ惹き起こした、今般の取り返しのつかない福島第1原発事故に関し、全人類と世界に対して謝罪せよ。
株式会社・東京電力が「存続」し得る道など、本来、絶対にあり得ようはずはないのだ。
この企業を今後も存続させてしまうとするなら、それはもはや、今度は日本民衆自身の怠慢であり、人類に対する犯罪である。
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by uzumi-chan
| 2011-04-27 22:32
| 東京電力・福島第1原発事故