ドイツ北西部から届いた便り〔その2〕 東京電力・福島第1原発事故(第47信)


すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……


ドイツ北西部から届いた便り〔その2〕



 
 私は、必ずしも「民主主義」という概念に絶対無条件の「希望」を託してはいない人間である(それはおそらく、この日本という国に生まれ、生きざるを得なかった諸もろの制約のもとでの、私自身のある惰弱さとも、あるいは無関係ではないかもしれない)。

 しかしながら、もしも「民主主義」が機能することがあるとすれば、それはたとえば現実の重大な事態が、「選挙」という制度を通じ、可及的すみやかに、社会に反映されることが大前提の1つでなければなるまい——少なくとも、そう、私は考えてもいる。

 《ドイツのメルケル政権与党である自由民主党(FDP)のウェスターウェレ党首が3日、5月に開かれる党大会で党首を辞任する意向を表明した。
 4日に党幹部会を開き、後任の党首候補を選ぶ。同氏は外相にはとどまる意向を示した。
 先月の2州の議会選では、福島第一原発事故の影響で原発政策見直しを掲げる緑の党が大きく得票を伸ばし、FDPは大敗。
 党首の辞任を求める声が公然化していた。》
 (『読売新聞』電子版2011年4月4日10時31分/ベルリン=三好範英 )

  http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110404-OYT1T00250.htm

 第28信《ドイツ北西部から届いた便り》で紹介した、在独の旧友の韓国人画家から、ほどなく、新たなメイルが届いている。

《イズミ형(ヒョン=兄)、

 형(ヒョン=兄)のブログに拙文を紹介していただけるなら、幸いです。
 日本の状況があまりにも痛いたしく、これ以上、悪くならないことを願うばかりです。》


 《むろん今回の事態は、そもそもは地震と津波によって引き起こされたものです。そしてその被害自体もあまりに甚大で、心が痛みます。
 しかし、原子力発電所の放射能問題は、根本的には政治家や資本家の過ちからもたらされた災いです。》


 《自然によって生じた被害は、ある程度、時が経てば、解決されるでしょう。
 なぜなら自然は、生命を奪うこともしますが、またそれを蘇らせる力も併せ持っているからです。
 しかし、人間の欲望によって人為的に惹き起こされた災いは、そう容易には元に戻りません。》


 私は彼が、ドイツでヨーロッパ現代美術のさまざまなイディオムを自家薬籠中のものとし、それらの上に独自の表現を展開してきながら、しかもその根底に韓国民衆美術を貫く、東学思想동학사상 を淵源とした、深い生命観を手放していないことを思う。

 日本では「東学党の乱」と、一種矮小化のニュアンスを込めて通称される甲午農民戦争 갑오농민전쟁 は、まさに「西学」 서학(キリスト教)に対する、東洋の全的生命観としての「東学」 동학 の思想の裏打ちを受けたものだった。

 名高い詩篇『밥』で、
 
  밥은 하늘입니다.
  (ごはんは 天です)
 
 そう喝破した詩人・キムジハ 김지하 (1941年〜)の影響を強く受けた画家が、昨年暮れ、ともに過ごした数日間の後、ドイツを去ろうとする私に、アトリエから携え、餞別にくれたのは、漆黒の闇のなかに浮かぶ1粒の「米」を描いたアクリル画だった。

 ——キムジハの『밥』は、一般に『飯』と訳されるが、私はむしろ『ごはん』の方が良いような気がする。したがって、昨年、拙稿『5・18と8・15の間——事件30年後の光州から「戦後日本」へ』(月刊「世界」2010年10月号/岩波書店)で拙訳を試みた際も、そのように訳出してみている。

  밥은 하늘입니다.
  하늘을 혼자 못 가지듯이
  밥은 서로 나눠 먹는 것.


  ごはんは 天です。
  天を独り占めはできないように
  ごはんは 互いに分け合って食べるもの。

      (キムジハ『ごはん』第1連/拙訳)

 ——ちなみに、キムジハについては、朴正煕・全斗煥軍事独裁政権下、政治犯死刑囚という状況で、文字通り身命を賭してこれら絶唱の数かずをものした後、90年代以降の主張や思想については、私は何度か批判してきていることを、付言しておく。

 ただし、詩篇『밥』の見事さをはじめ、彼の絶頂期の詩業についての賛嘆を、私はなんら惜しむものではない。

 ……上記、キムジハをめぐる問題の詳細については、山口泉『「新しい中世」がやってきた!』(1994年/岩波書店刊)の第7信「エコロジカル資本主義の倫理と信仰」第4節「“改宗者”の主張——キム・ジハの現在をめぐって」、同・第5節「神が先か、人が先か……」、同・第6節「日本人がキム・ジハを批判するということ」(以上、上掲書p.198〜p.210)を参照。

 (また、上掲部分は「東学」동학の思想についての、私なりの概説を含むとともに、同書・第6信「エコロジカル資本主義の論理と政治」、同書・第8信「生と死とにわたるファシズム」、同書・第9信「世界は存続されるべきか?」等とともに、同書においての私の「反原発」運動への複合的な見解を構成してもいる。
 この問題は長くなるので、先行する他の拙著との関連とも併せ、いずれ当ブログでも取り扱いたい)

 画家は、書く。

 《政治とお金とのあいだには、相互に密接な連携があります。(略)資本家と政治家とは、いつも良好な共生関係にありますね。
 資本家や政治家は、皆、原子力発電所は安全だといいます。しかし興味深いのは、原子力発電所の危険負担のあまりの大きさに、世界のどの保険会社も、原子力発電所については保険加入を認めてはいないということです。》


 《いま、この福島の事態を、どんな保険会社が解決してくれますか? 事故が起きれば、それは常に国民が犠牲となるだけです。》

 画家は、書く。

 《いま、日本国民は、どこがどう間違ったのか、ほんとうに眼を醒まさなければならないでしょう。
 戦争で原子爆弾の被害に遭いながら、なおも開かなかった眼を開けなければ。》


 《いま日本が直面している最大の災厄は、地震でも津波でもなく、原発から漏れ出す放射能の問題です。
 今日も原子炉の亀裂を封じ込めるのに失敗したそうですね。
 放射性物質が放出され、海が汚染されています。
 島国の日本にとっては致命的ですが、韓国・中国・東南アジア、世界中のすべての人びとにとっても重大な問題です。
 本当に恐ろしいことです。》


 《きょう昼食に、市内の日本料理店で鮨を食べ、형(ヒョン=兄)たちのことを思いました。
 困難な状況ですが、無事にお過ごしになることを願っています。》


 ……おそらく、彼が家族と赴いたというのは、あの分厚い雪に閉ざされた真冬の厳寒のなか、私たちが連日のもてなしの答礼に、大学でファッション・デザインとアパレル・マーケティングを学ぶ可憐な愛娘のリクエストに応え、彼の一家を招いて共に晩餐を摂った、あの店のことなのだろう。
 
 9500kmちかくも離れた地球上の一角に、あたかもグリム童話のそれのような1つの瀟洒な街があり、その一隅のアトリエで、きょうも友が、現代世界の搾取と抑圧を告発するキャンヴァスに向き合っている。
 そのことを、私は想像する。

 そして、その場所と記憶から、いま自分が空間的にも時間的にも、どれほど重層的かつ決定的に遠ざかってしまっているか——それを、私は改めて噛みしめる。




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by uzumi-chan | 2011-04-10 05:17 | 東京電力・福島第1原発事故

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