悪夢のようだが—— 東京電力・福島第1原発事故(第7信)
2011年 03月 24日
すでに「取り返しのつかぬ今」を
もはや「取り返しのつかぬまま」見据えながら、
それでもなお、あの愚者たちに殺されないために……
悪夢のようだが——
かつて80年代、チェルノブイリ事故の直後、一挙に隆盛を迎えた「反原発運動」を通じ、「こうなったら、この世の終わりだ」と言われつづけてきたことが、いま、現実に起こっている。
たった1基の原発にあっても、「この世の終わり」「それを避けるために原発に反対しなければ」と言われ続けてきたことが、いま現実に——それも4基(以上)もの原発で。
(付け加えるなら、80年代日本の反原発運動についての私の評価は、単純ではない。当時、むしろ私は、その「戦後民主主義的功利主義」に対する最も苛烈な批判者として存在してきたつもりである。だがむろん、それは原発そのものを肯定することなど、まったく意味しない。
この問題については、故・高木仁三郎氏との、ごく一瞬の個人的交渉の記憶を含め、遠からずこのブログに書き留めておきたいと考えている)
3月12日 17:18:40:JST、私はテレビ画面に映し出された映像からの衝撃に、友人たちにこう、書き送った。
《NHKは、午前と午後の映像を比較し、
福島第一原発に4つあった建屋が、
3つに減っている、と言っています。
17時15分から、原子力安全保安院(……!!!!!!!!)の
緊急会見があるようです。
悪夢のようです。》
……形容は落ちるが、何度でも言うしかない。
悪夢のようだ。
にもかかわらず、「諸外国」が深刻な憂慮に沈むなか、当の日本国にあっては、TVは吉本芸人らの“お笑い”番組に埋め尽くされ、「震災」に関しては情緒的で煽情的なエピソードの羅列に終始し、俗論の極みと言うも憚る公共広告機構の不潔で醜悪な似而非道徳談義を垂れ流す。
いま、4基(以上)もの原発が、陸・海・空に、たえまなく放射性物質をまき散らしているというのに。
正気なのか。
この公共広告機構を通じての大量宣伝の結果、「許し合い」の、判断停止の、こざかしく押しつけがましい、脱政治化の極北たる、さすがに相田みつをに較べれば、まあ1ランク半程度はましかというだけの……しかしその分、「文学」としての隠微な犯罪性はより深化した危うさに満ちた——金子みすゞの詩集に、注文が殺到しているという。
なんと度し難い国。
ほんとうに、ほんとうに、悪夢のようだ。
(しかも、これが現実だとは……)
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by uzumi-chan
| 2011-03-24 02:38
| 東京電力・福島第1原発事故